ご祝儀を「もったいない」と思っていた過去の自分へ。自分以外の誰かのためにお金を使えるまたとない機会
ちきりんさんの「自分の時間を取り戻そう」の中で、お金の生産性を高めることの重要性が挙げられています。
わたしなりに解釈したお金の生産性を高めることとは、自分が本当に好きなことややりたいことに素直になって生きることを目指し、希少資源である「時間」と「お金」をどう使うかを考えることです。
トップ1は引っ越し、トップ2はリゾート地への旅行だったわけですが、トップ3も考えてみました。
第3位は、友人の結婚式のご祝儀
3位は友人の結婚式のご祝儀にしました。
実はご祝儀については、ずっと懐疑的だったんです。もともと結婚願望が乏しい自分にとって、結婚式のご祝儀のシステムはあまり腑に落ちていませんでした。
なぜ、わざわざご祝儀を払う必要があるんだろうとずっと思っていましたし、今でもこのシステムは疑問です。
端的に言えば、自分以外の誰かのお金で、自分たちの結婚式をあげるのってどうよ? という気持ちがなかなか拭い去れませんでした。
ご祝儀を払っても良い気持ちになったのは、稼げるようになったから
ただ、最近は躊躇なくご祝儀をお送りできるようになりました。なぜか。
まずは、自分自身の稼ぎが良くなり、いわゆるご祝儀貧乏にならないくらいには、毎月貯蓄ができるようになったことが大きいです。
ご祝儀を出す余裕が生まれたことで初めて、素直にお祝いができるようになったということです。やっぱり自分に余裕があって初めて、人のためにお金を使えるようになるんだなと思った次第です。
きれいごとだけでは、納得のいくお金の使い方はできません。むしろ、お金に不安がなく、心身ともにお金を使える万全な状態になっていてこそ、気持ちよく出せるようになるんですよね。
自分以外の誰かのためにお金を使えるようになった(ようやく……)
もう1つは、お金を誰のために使うかという視点が変わったからでしょう。
お金がなかった時には、お金は自分のために貯めて、自分のために使うことしか考えられませんでした。銭ゲバ的な考え方かもしれませんが……。
その考え方が変わったのは、やはりしっかりと貯金ができるようになり、投資によって「お金に稼いでもらう」ことが身についたからでしょう。
お金に稼いでもらうためには、社会に対してお金を投資するという視点の切り替えが必要になってきます。
わたし自身、投資によって自分のお金を自分以外の誰かに使ってもらえる可能性が増えたんだと理解するようにしました。
投資の第一条件はお金を儲けること、利益を出すことです。これはきれいごとなしの思いであることに変わりはないのですが、それとは別軸で自分以外の会社や社会に対して投資をしたいという気持ちも生じてきたのです。
ご祝儀も、ご招待いただいた方に対して、お金を投資する行為だと割り切れるようになってきました。
先方にとっては、一世一代の取り組みであり、多くの人と幸せを分かち合えることが嬉しいはず。たった1度しかない、その瞬間の人生のワンシーンに招いてもらえることは、光栄なことだと考えるようにしました。
人生の大きな割合を占める出来事に参加して喜んでもらえるのは投資だと考えられるようになりました。費用対効果で考えてはいけないということですね。
結果論ですが、ご祝儀をあげてもお金はたまります
社会人生活が長くなると、それだけ結婚式に呼ばれる回数が増えます。社会人の最初の時は御多分に洩れず、ご祝儀貧乏になってしまっていたのですが、今はそんなことはなく、むしろお金がためられるようになっています。
この事実を見るにつけ、「誰かのお祝いのお金は、しっかりとやってあげることが結果的には良かったんだ」と思えるようになりました。誰かのために使ったお金は、めぐりめぐって自分の元にかえってくるのかもしれませんね。
ご祝儀は、自分以外の誰かのためにお金を生産的に使える出来事です。これからもしっかりと使っていこうと、今は本気で思っています。それにしても、気づくのが遅過ぎました。