ちゃんぽんを食べた、という話。それと決めるということについて。
日曜のお昼ご飯、ちゃんぽんを食べた。
日清の袋麺。
野菜は冷蔵庫にないし、暑くて外に出たくはないので麺を茹でて具なしちゃんぽんを食べた。
ちゃんぽんと言うくらいなので色々なものが入ってごちゃ〜としているものの事をちゃんぽんと言うのだろうと思うと、「ああ、きっとこれはちゃんぽんじゃなくて、ちゃんぽん味のラーメンかもしれない」と思い、少し寂しくなった。
語源を調べてみるとたしかにそういう説もあるらしい。
ポルトガルなら僕の食べたものはちゃんぽんではないことになる。なら何を食べたんだよ。
ただ、ちゃんぽんの定義が味ならばこれはちゃんぽんなのかもしれないので、まだ僕は、僕のお昼ご飯をちゃんぽんにすることができる。
ちゃんぽん 定義 で、検索。
僕のお昼ご飯は、「ちゃんぽん風麺」にランクダウンした。
本当にそうなのだろうか。
そもそもちゃんぽんが「さまざまなものを混ぜた料理」であるならば味は問われないことになる。ならポトフもちゃんぽんだし、お好み焼きもちゃんぽんと言える。ゆるくて雑で酷い定義だ。
なので、僕はちゃんぽんを「ちゃんぽん特有のあの塩ベースの味付けをされている麺」だと決めた。
人は物事を仮説、調査、検証を踏まえて決定する。そのプロセスは時間がかかるものだ。
僕がちゃんぽんと決定したちゃんぽん味のふやけた麺は、思っていたちゃんぽんからランクダウンした味だった。