恋う


一生、とか、絶対に、とか未来を見据えて、期待する言葉があんまり得意じゃない。

期待しなければ重くのしかかる何かから少し逃れられると思って生きているから。

どこから、いつからそう想うようになったかわからない。

自信過剰だったかつての自分は自分に期待し、未来を語っていたように思うけれど。


過去に縋るのも、あまり良くない、というか自分としてはしがみつきたくないなと思う。


少し過激だけれど、
「あの時は良かった」「あの時は幸せだったんだな」が嫌いだ

幸せな時に「幸せだ」と自覚できないことはそれなりの不幸だと思う。過激か?


これまたいつから思っているかわからない。でも何かいつかどこからかそう思うようになってから、“今“を生きれているとも思う。

幸せな時は幸せだと思うし、その空間や時間を作ってくれた人には、自分はあなたのおかげで幸せだ、と言うようにしたい。し、言っていると思う


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幸せだ。私は今幸せだと思う

今までも、保育園も小学校も中学校も、高校も大学も、そのときどきで形を変えながら幸せだった。

家族に環境に、友に教師に、様々なことに恵まれてきた。自覚がある。

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最近、知人のツイートが辛そうで、自分の良かったこと、幸せだったことを拡散することにある程度の後ろめたさを感じた。実際ツイートは出来なかった。

幸せのお裾分け、なんて言葉は余裕があるもの同士の会話のようにも思える。


ふと、高校時代の部活の顧問が、授業中に
「社会に出たら、大学に通っている、というだけで恨まれ、刺されることがある」
と言っていたのを思い出す。
大事なことを教えてもらったと思っている。

そんなことを思っても今を苦しく生きる彼や彼女らにしてやれることは何一つないけれど。
何が苦しみになるかわからないから、気をつけたいとは思う。


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そう思う一方で、
最悪自分が何かどこかのタイミングで社会や人生との関係を絶ってしまった時、そうせざるを得なくなった時、
いつか後で誰かが見られるように伝わるように、今の幸福を残しておきたい。とも思う。

希死念慮なんて1ミリもないけれど、諸行無常、人生何が起こるかわからないから。

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酔っ払っているから、「一生」なんて言葉を使ってしまった。

それほど彼は優しく、構えていてくれる。ように思う。



出来ることならこのままともに居続けたいが、それを言ったら、声に出したら、期待は瞬く間に膨張し、そうして未来の不安を助長する。

夢がないけど、これが24年間で培って来た、培ってしまった生き方。


怖い。

言ってしまった今、そうならなかった未来も怖いし、言ったことによって相手にかけてしまったかもしれないプレッシャーも怖い。



好きとか嫌いとか関係なく、続かなくなる関係があるのは十二分にわかっていると思っていたんだけど。

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