ついにサ行に入った。抜けもあるが

鬱々としたものが私を巣食う。


少しの焦りがあっという間に脳を埋め尽くすと目が冴え、次にこのままでは数時間寝られないかもしれないという不安でさらに冴えが加速する。

充分量ある今何の躊躇いもなく薬を飲んで寝られるまでの時間をこうして待つが明日はきっとぼんやりと眠気が残る1日だろう。


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鬱々とした時によく蘇る記憶の数は指で数えられるほどで、

たとえばそれは中学の頃、いや小学校の頃から仲が良く、それまでやっていたスポーツを全てやめて共に卓球部に入ろうと約束した彼

を、引きこもりから、どうすることもできなかったこと

そうしてまた、数年後社会に復帰しかけた彼が自分が頑張ろうとしている、ことを伝えてくれようとしていた、ことをまともに聞いてあげられなかったこと


ぼくといえば結局ぼくのことにばかり夢中なのだ




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たとえば小学生の頃、ある程度仲の良いと思っていた女子6,7人の遊びに誘われていなかったことーーー誘われていなかったのか、誘われていたが遊びに行った先のお家の方に、今日は別の場所で遊んでいると聞かされたのかーーーそうして、泣きながら皆がいるその場へ向かったこと


夢中だ


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目の前以外に自分以外に目を向け想いを馳せられたら良かった


ぼくといえば、は、ぼく以外を見て初めて気づけるもののように思う



はっ…

今ギリジンの声で「興味を持てよ!"きょうめ"よ!」が響き渡った


知識が欲しい。

コミュニケーションの本でも借りてこようかな


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対人関係の話をした時、「そうやってこれまでの人生を生きのびてきたんだよ」と彼は言った


相槌の代わりのようにして笑ってしまうのも、自分を落として相手を上げようとしてしまうのも、年上とばかり仲良くしてしまうのも

そう生きてきてしまった


大きくなってから、

笑顔がただの相槌ではなく、「同意、肯定」と受け取られることがあるから、だから考えて会話をしていかないといけないということや

自分を落とすと気を使わせてしまうだけでなく、嫌味にも聞こえるし相手はあげられないといことや

どのコミュニティでも常に下でい続けることはできず、下とのコミュニケーションは必要不可欠であること

を知り、ほんの少し息が詰まった

このどれにも気付いたはいいがそれまで、にとどまっている


ぼくは最後、ぼくを看取る誰かが居てくれるだろうか

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