こんにちは!!鰤子です!!しばらく放置気味でしたが、新企画始動に伴いこちらも再開です!!
さて早速ですが、新企画とはこちら↓
小倉の330Monkeyさん(サザモン)のポッドキャストにLayered Little Press代表のTommo Soganeが登場します。インドカレーとかスパイスとか、アジア各国の食文化についてゆるゆると話す番組です。先週から配信が始まったのですが、スポティファイで聴けるので、以下のリンクよりアクセスしてみてください‼
ちなみに初回から第四回まではコルマのことについてお話しするようです。はい、インドカレーのコルマです。これからもいろんなカレーの話が出てくるということで、noteの方ではそれらの料理について、実際に作ってみたい~っていう方向けに私がレシピ付きのまとめ記事を作成していきます。というわけでコルマの記事を現在作成中なのですが、その前に予備知識というか準備体操というか、ムガル料理についての記事を何回かに分けてnoteで投稿していきます。コルマはムガル帝国料理なので‼
ではここから本題です。
ムガル帝国とは?
ムガル帝国は、16世紀初頭から19世紀後半まで南アジアに存在したイスラム王朝です。歴史については私は専門外なのと、この記事のテーマからも逸れるので詳しく触れませんが、その時代にとにかく非常に栄えた帝国で、その領土は現在のインド、パキスタン、バングラデシュ、カシミール、アフガニスタンにかけて広がっていたといいます。
ムガル料理とは?
現在でも北インドでは、看板にムガル料理を掲げるレストランは多く、正当な地位を持つ一つの料理体系として認識されています。既にムガル帝国は存在していない時代においても、ムガル料理という名称が生き続けているんですね。ムガル料理は現代の北インドのレストラン料理の成立に関わっただけでなく、その版図の広さから、ベンガル料理やハイデラバード料理などインド各地の料理にも影響を与えています。また、建築や芸術、文学など、料理以外の様々な分野においても多大な功績があると言われています。
今現在もムガル料理として強く認知されている料理は、北インドのレストラン料理の中にも数多くあり、代表的なものとしてはビリヤニ、プラオ、コルマ、ニハリ、カバブなどがあります。これらの料理が、ムガル帝国のいつ頃に成立したのかは、正確には分からないものもあったりするのと、それぞれの料理が今の姿とどれほど異なっていたのかは、古い資料を当たりながら確かめていくことになります。また、〇〇料理と言うと一般的には一つ一つの料理が注目されることが多いですが、それぞれの料理で発達した調理法についても知っていく必要があります。例えばダムビリヤニに使われるダムという調理法ですが、これは原型がペルシャや中東方面にあると言われており、もともとは肉や野菜の調理方法の一つでしたが、これをビリヤニやカレーにまで適用範囲を広げたのはムガル帝国です。調理法の進化や開発は、その国の料理を大いに発展させ、独自性をもたらし、料理をただの料理から体系化されたものにします。
ムガル料理とは、ムガル帝国のキッチンで生まれ、発展した料理や調理法だけでなく、ムガル帝国滅亡以降に、それらを基にさらに発展を遂げた料理の一群全てがムガル料理であり、現代の北インドを中心とするレストラン料理の基礎になっている、もしくは多大な影響を与えた料理体系と言えるでしょう。
そもそものムガル料理のルーツは?
ムガル帝国を建国したのは、その当時アフガニスタンからやって来たバーブルさんでした。バーブルさんはとある戦で勝った後にデリーでムガル帝国を興し、そして帝国はその後200年ちょっとの間に南アジアのかなり広いエリアを領土としました。そこからは衰退し、300年ちょっとでムガル帝国はなくなってしまうのですが、ではこの間のムガル帝国のキッチンで発展した料理がムガル料理というのはいいとして、ムガル帝国は17世紀に全く何もないゼロからオリジナル料理を作っていったのかというと、それはもちろんそんなことはありません。
これはどういうことかというと、もともとインドにいなかった人たちがインドにやってきて国を一つ興したということで、そこにはもともとは外からやってきた人たちの料理や食文化があったのです。現代のムガル料理を見ても、南アジアだけでなく中東や中央アジアの様々な料理の進化系とみられる料理が多々あります。実際、初代皇帝バーブルさんは、その当時はアフガニスタンからやってきましたが、出身はカザフスタンということで故郷の料理の料理をベースに、しかし故郷にはなかった魚などの新しい食材もムガル帝国で大いに楽しんだといいます。その他にも二代目皇帝は奥さんがペルシャの人だったということで、奥さんによってムガル帝国のキッチンにペルシャのドライフルーツやサフランがもたらされたという話があります。各時代の皇帝を取り巻く情勢や本人の好みによって、その時代時代でムガル料理も大きく移り変わっていったようですが、少しずつ周辺地域の土着の食材や調理法、料理そのものを取り入れながら、少しずつ今の私たちがイメージするムガル料理の形になっていったということが分かります。
支配階層の人たちの料理と庶民の料理
最近はそうでもなくなってきましたが、以前は日本では、北インドカレーはこってり、クリーミー、オイリー、スパイシー、肉肉しい、ナッツや乳製品をよく使うと言われてきました。しかしこれは日本のインド料理レストランの料理の特徴です。日本のインド料理レストランの料理は、北インドのレストラン料理がベースになっています。北インドのレストラン料理のベースはムガル料理なので、これはムガル帝国のキッチンで作られていた料理にルーツを求めることができると言えます。
ここで忘れられがちなことが一つあります。国というのは支配階級だけでは成り立ちません。国民が必要です。国民は支配する側ではなくされる側です。支配する側とされる側、果たして同じものを食べていたでしょうか。答えは明白で、ムガル帝国のムガル料理は支配階級の人たちの料理、当時どれほどのムガル帝国民が口にできたものでしょうか。支配される側の人たちというと言い方も聞こえも悪いですが、つまり一般人です。一般人の食事、これが庶民食であり、家庭料理は庶民食の代表的な形態の一つです。つまりムガル料理はムガル料理、インドの庶民食は庶民食と、実は根本から異なっており、このnoteでもずっと取り上げてきた北インドの家庭料理、特にヒンドゥー教徒の家庭料理と、イスラム国家の支配階級の人たちのムガル料理は全く異なるものであるという認識が必要です。
特に南インド料理の野菜中心、あっさりといった、南インド料理の特徴の一部と対比されることも多かったですが、これは南インドの家庭料理と北インドの支配階級の料理を比べていますね。全く次元の違う、そもそも比べられない者同士を比べています。北インドの家庭料理も豆と野菜はたくさん食べますし、あっさりしてヘルシーなものがたくさんあります。そもそもヒンドゥー教徒はベジタリアン人口も多いですし。ムガル料理も北インド料理も、南インド料理も、きちんと習得するためにはある程度正しい知識が必要です!
それでは、その➁に続きます‼