映画『パラサイト 半地下の家族』の描く貧富の差が実感しかなかった件
久しぶりに、面白い社会派映画を見た。
偏見かもしれないが、社会派映画ってストーリーがなだらかで静かなものが多い気がする。
表現したい社会的テーマがはっきりしている場合、ストーリーに極端な疾走感や緩急をつける必要はないし、つけない方が繊細な対比や暗示などの演出が生きることも多いのかもしれない。
しかし、この映画は違う。
2つの家族を軸にした貧富の格差が物語の主軸になっているが、軽快で引き込まれる展開と予想を裏切るクライマックスによって、単なるエンタメ映画としても十分に楽しめるストーリーとなっていて、一度見始めるとゾクゾクしてやめられない、あっという間の2時間だった。
あらすじ
物語は、ソン・ガンホら演じる半地下の家に住む貧しい家族と、チョ・ヨジョンら演じる丘の上に住む裕福な家族を軸にして進む。
前半、全員が失業状態の貧しい一家は、あるきっかけから裕福な一家で家庭教師や運転手の職を手にするようになり、まるで寄生虫のように丘の上の家のもう1つの家族として定着していく。
徐々に態度の大きくなる貧しい一家に、いつバレるのかとハラハラしながら観客は引き込まれていくが、最後には予想もしない方向に転がっていく、というあらすじ。(これ以上言うとネタバレになってしまう。)
印象的だったのは、2つの家族と貧富の描き方である。
お金だけが違う、「幸せ」な2つの家族
まず、2つの家族について、一般的に貧富の対比を描くときには、裕福な方が悪人だったり、もしくはお金に余裕があっても家族として冷え込んでいたりと、お金以外のマイナスな要素を備えていることが多いが、この映画の2家族はお金と住む環境(つまり本当の貧富の差)以外は、家族仲も良好で、人も良い普通の家族として描かれる。
だからこそ裕福さを表す住環境の表現はとても緻密で見応えがあり、後からこの2つの家が大掛かりなセットだと知ってとても驚いた。立地や住む場所の高さ、面積や新旧の表現など、特に前半の部分はコミカルかつ分かりやすく、その差を表している。
※映画.comの予告編では、セットについて少し語られているので宜しければ。
人と人の距離を作ってしまう、染み付いた「ニオイ」
次に、2家族の間でお互いに意識されていく貧富の差について、この映画では「ニオイ」を使って表している。「生活臭」というのは身に染み付いていて、自分ではわからない。一方で「嗅覚」というのは人間の一番動物的な感覚で、実際「クサい」となった時に人の体は自分の身に迫る危険に反応しているという。この映画ではこの「クサい」が効果的に貧富の差を表現している。
映画で感じられるのは視覚と聴覚なのに、嗅覚がポイントになっているなんて、と思われるかもしれないが、この映画を観て「ニオイは視覚からも感じられる」というのを改めて感じた。そして「クサい」というのが時と場合によっていかに差別的な色を含むのかも。でも、頭で分かっていても、映画を見ながら、自分が同じような「ニオイ」(いいニオイも「クサい」ニオイも)を感じてしまった瞬間を思い出してしまうのだ。色々な場所や相手を思い浮かべながら・・・。貧富の格差はこんなところでも人と人の距離を作っているのだと、改めて実感してしまった作品だった。
※Photo by ”nanairo125” from Photo AC
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