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僕が20歳になった瞬間の話      ナンバーワンよりオンリーワンの道を進む




みなさんこんにちは、篠田長次郎です。

今回の記事は何かの紹介ではありませんが、少し話してみたかったことなので書かせていただきます。



2021年2月24日、僕の弟が20歳の誕生日を迎えました!
しっかり者で周りへの気遣いができる僕自身も尊敬している弟です。




20代になるって人生の一大イベントですよね?


大人の階段を登る高揚感だったり、10代が終わってしまう不安感だったり、本当に複雑なキモチだと思います。

僕の場合だと、20歳になる瞬間に関して少し変わったエピソードを持っているので少し紹介します。



篠田長次郎の18歳19歳のエピソードです。




 高校を卒業してから僕は、土木や造園設営管理の公務員の勉強をするための学校?に通っていました。



 しかし、途中で大学編入の勉強を始め出したりとかなり目標はブレブレでした。そのため生活もかなりグータラになってしまいました。(単位制の学校だった為、大学への編入も可能でした!)



 11月の中旬で19歳になったわけですが、このまま20歳になって大丈夫かな。。と常に不安は感じていました、が、相変わらず勉強も進まずどんどん月日は流れていきます。



「僕が20歳になる時は、どんな自分でいるんだろう、、」







そんな僕に人生の転機が訪れます。




 忘れもしない2017年1月11日、実習中に僕は息苦しくなり体と顔がむくみだし倒れてしまいます。全身に力が入らず手足もつり始めました。

 同期に急いで病院に連れて行ってもらい診断してもらったところ、翌日には地元の大きな病院に入院することが決まりました。




僕は一時性ネフローゼ症候群という難病にかかっていたのです。




(少し話がシリアスに進んでいますが現在は薬も減って元気に動き回っています!安心してください笑)




ここから僕は1ヶ月の入院生活を余儀なくされます。


 入院して5日くらいは足がつったり身体中がむくんでいてまともに歩くこともできずずっと車椅子に乗っていました。
 また、入院期間が冬の時期だったため、検定や試験、テストも全て受けられない状態で本当に身体的にも精神的にもやられていました。


 忙しい中何度もお見舞いに来てくれた母と弟に僕はこんなお願いをしました。



「中学の英文法が一通り乗った参考書と単語帳を持ってきて欲しい」

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 入院中時間を持て余していたのもありますが、大学編入の主な教科が英語だったのと、高校の卒業旅行で熊本の友達とアメリカに行ってかなりいい刺激を受けたのでこの機会にイチから勉強しなおしたいと英語学習を始めました。


 朝起きて単語を100個確認したり、文法を中2からやり直したり、大好きなバンドのcoldrainの歌詞を歌詞カードを見ながら書いたりと自分でもかなり英語学習にのめり込んでいたのがわかります。





 英語学習を始めてからの1ヶ月はあっという間で無事退院することができましたが、メインの公務員試験だったり編入試験はまた来年チャレンジしたくてはなりませんでした。



 進路をどうしたらいいかわからず精神的に参ってしまっていた僕に母がこんな提案をしてくれました。



「あんたさ、英語学習めちゃくちゃやってたじゃん。留学とかしてみたら?フィリピンだと1ヶ月生活費合わせて20万くらいで英語漬けの生活ができるらしいよ。まだ20にもなっていないんだからこの機会に挑戦するのもありなんじゃない?」

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 これにはものすごく驚いたのと同時に未来に希望が見えました!

 当時の19歳のガキだった僕は、留学はお金持ちで優秀の大学生がいくようなものだとばかり思い込んでいましたが
(完全な偏見です。情報弱者って恐ろしいですね。笑)
そのくらいの金額ならバイトしてすぐ貯まるじゃん!、と心を踊らせましたね。


 すぐにフィリピン留学を決意しました。

と、言っても篠田は高校時代の英語の点数は常に平均点以下です。


 このまま事前準備なしに行動するのはマズいだろ、、、と僕は半年の準備期間を設けます。


 「稼げるアルバイトをしながら入院期間通り単語と英文法を進め、半年後の留学に体調と貯金、基礎英語をばっちり準備する。」



 僕はブライダルのアルバイトと日雇い派遣、住み込みのリゾートバイトを主にやっていましたがどれも本当にいい経験になりました!

 周りから珍しがられたくさんの有益な情報だったり、かっこいいバンドだったりを教わりました。(19歳でフリーターでリゾバしてるってなかなかいないですからね笑)

 アルバイト先でサポートしてくださったみなさん、本当に感謝してます!







そして月日は流れ、僕が10代最後の日に何処にいたかというと、、、



なんと成田空港です!

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決して調整していたわけではありませんが、10代最後の日は世界への挑戦の日になっていました!

ただひとつ言えるのは、逆境にあっても強い信念と目標があれば必ずいい方向に転がるということです!


そしてもっと驚くべきことが起こりました!

フィリピンと日本では1時間の時差がありますが、夜中のフライトだった為20歳を迎える瞬間は空の上になります。




しかも時差の関係で20歳になる瞬間を2回も迎えてしまいました!笑



10代最後に聞いた曲は平井堅さんの
Gaining Through Losing


20代最初に聞いた曲はcoldrainの
A DECADE IN THE RAIN




どちらも僕の人生の中で大切な曲です!





そして二十歳を迎え、フィリピンに到着し留学生活が始まるわけですが、そこまで書くと長くなってしまうので今回はここまでにしようと思います!







------------------------------------改めて---------------------------------


 読んでもらってわかったと思うんですけど僕は結構偶然に助けられて生きてきました。笑


 あの時病気していなかったら通常の進路に行っていたかもしれないし、母親から留学のヒントをもらってなかったら今ごろ自分は全然違う道を進んでいたかもしれないし、重要なところで助けてくれた母には感謝しかないです。






 僕は18歳、19歳の時はひたすら学歴を気にして生きてきました。と、いうのも部活のレギュラーにもなれなくて大学にもいけなくて、と周りと比べてばっかりいました。

 (なので大学編入も途中から目指していたのも劣等感からだったんですね。)


 とはいえ勉強も部活の練習も中途半端にしていたのは自分のせいです。母子家庭だから大学は諦めたとか当時は言っていましたが、実際奨学金を使ったり公立大学を目指したりと、手段はたくさんあったはずです。


 しかし今はゼロからの留学を挑戦したということもあり、学歴にての劣等感は全くなくなりました!

 

 なかなか僕の周りには20歳前後でこういった経験をしている人はいないので、
「グループの中でトップを目指すよりもオンリーワンの何かを極めてコレといえばコイツ!って言われる方がいいな」

と価値観も+に変わりました。




 初めてこの経験談を公開しますが、全然フーンって思っていただいても構いません笑

 ただ、本当に逆境に立たされてもふとしたきっかけを逃さなければ人生は面白い方向に変わると体感しました!

 何かを始めるには何かを犠牲にしなくてはならなときもありますが、その分自分の視野を広げたり、自分にしかない何かを見つけられるチャンスですよね。


どうか、こんなやつもいるんだと思って、少しでも参考にしていただけたら幸いです。



ではまた、音楽記事でお会いしましょう!


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