奪われていたけどもらっていた自由・その1
先日、友人と話していたとき、
彼女が以前に体験したことが、
今でもまだ少し辛い記憶として
残っている、
という話になったの。
それで、
辛いことには、
それと同じだけ、
彼女にとって良いことがあって、
「嫌なこと」と「良いこと」の質量は
同じなんだよ、
っていう話をしたのね。
そしたら彼女は興味を持ってくれて、
「じゃあ、今、
その良いことを探してみる」。
それで、まず一つ、
よかったことを見つけて、
「じゃあ、
その先にはどんなことがあった?」
って、掘っていったのね。
そしたら、
まあ、
見つかる、
見つかる!!
どんどん、
彼女にとって
おあつらえ向きのことが起こって、
彼女がこうありたいと思っていたことに
繋がっていたことに
気づいていったの。
彼女は、
嫌なことをした人たちに
感謝までしてしまってた。
でもね、
嫌なことを、
「あれは良いことだった」て
無理やり思い込む必要はないの。
ただただ、
その嫌なことにも、
自分のためになる面があった
これを見つければいいだけ。
私自身がそれを見つけた、
私自身にとっての
人生の大発見について
書こうと思う。
この大発見で、
私はその後、
生きることが楽になったから、
いま苦しんでいる方の
お役に立つかもしれない。
これは
以前に運営していた別サイトで
紹介したことがあるので、
もう知ってるよ、
という方もいらっしゃるけど、
その時よりは
ちょっぴり成長した私として、
新たな視点も付け加えながら。
◆病氣が憎い
私には、
いわゆる難病と言われる
病氣をもつ息子がいてね。
1歳の時にたまたま入院し、
血液検査を受けて判明。
私はその病氣のことを
とても憎いと思っていたの。
からだの自由を奪う
その病氣が憎い、
と。
その病氣さえ
なかったらよかったのに、
と。
ところが、
この大発見で、
私は、
その病氣から
息子も私も
自由をもらっていたことに
氣づいたの。
その大発見の時、
息子は小学5年生。
筋ジストロフィーのデュシェンヌ型と
診断されてはいるけど、
私は、
「そんなはずあるわけない」
と思いたかった。
でも、少しずつ、
転びやすく、
歩きにくくなっていくのを目にし、
このままいったら
どうなってしまうんだろうと
底知れない恐怖を抱えてた。
「そんなはずない」証拠を
見つけたいのに、
それとは正反対の証拠を
見せつけられてた。
何度も、心折れてた。
転ぶ息子に笑顔で
「ちょっとお休みしようか」
って言いながら、
このまま進行したら
どうなるんだろうという
恐怖を押し殺していた。
恐怖や悲しみを感じないように、
心の一部を押さえ込んでいた。
そういう頃に、
私は
ディマティーニ・メソッドに
出会ったの。
ディマティーニ・メソッドは、
ざっくり言うと、
偏っている認識の
バランスを取り戻すためのメソッド。
世の中のことはすべて、
本来、
陰と陽のバランスが取れていて、
いいも悪いもない。
でも、
私たちはつい、
陰のほうだけを見て
「悪いこと」だと認識してしまうし、
反対に、
陽のほうだけを見て
「良いこと」だと認識してしまっている。
だから、
両方の面を見ればよい、
それがそのことの真の姿なのだと。
そうしたら、
嫌なものは嫌でなくなる、と。
そうなんだ、ふーんと思って、
私はまず、
自分でこのメソッドのワークを
やってみたの。
息子の病氣の良い面を
書き出そうとしてみたのだけど、
心の底に
「病氣にいい面なんてあるわけない」
という思いがあって、
なかなか良い面が見つからない。
無理やりひねり出したのが、
「介助をすることで、
自分の体力維持ができる」。
ひねり出してはみたものの、
「いやいや、
体力維持なんて
他にも方法がいくらでもある。
それよりも病氣でないほうが
よっぽどいい」
って、心の中で反発する始末。
自分では
うまくワークできず、
日々、
息子の様子を目にしては
心が折れることがどうにも辛くなって、
ファシリテーターに
セッションをお願いすることに。
ただね、
私はセッションを受けたからって、
私のこの苦しい氣持ちが変わることを、
実は信じていなかったの。
だって、
自分の見えている世界はこう、
それが変わるなんてありえない、
と思っていたから。
◆私は病氣の何が嫌だったのか
セッションはまず、
自分が何に対して
どんなふうに思っているのかを
はっきりとさせることから始まったの。
これすら、
私には大変だった。
もう、
ただ嫌だ、
病氣が嫌だ
という思いで頭がいっぱいで、
何がどう嫌かなんて
冷静に見れていなかったから。
でもね、
ここはとても大事。
これは
自分が何と向き合うのかを
決めるところだから。
どこかへ行こうと思った時に、
車で行くのか、
歩いていくのか、
電車で行くならどの路線に乗るのか、
を決めていなかったら、
一歩が踏み出せないよね。
そんな感じ。
そしてわかった
私が一番嫌だと思っていたこと。
それは
筋ジストロフィーが
私と息子の自由を奪うこと
だったの。
その頃、
息子は、
普通の速さでは
歩くことができなくなっていて、
休んでは歩き、
休んでは歩き、
だったから、
登下校に時間がかかるように
なっていたの。
着替えなどの
出かける準備にも時間がかかる。
だから、
早起きをしなくてはいけない。
走れば5分のところにある
小学校なのに。
普通なら
もっとゆっくり
寝ていられる距離なのに。
重いからだを
布団から引き剥がすようにして、
早めに起きる息子を見るとき、
私は心を鬼にしていた。
病氣のせいで息子には、
楽に体を動かす自由がない、
起きたい時に起きるなど
時間の自由がない、
そんなふうに思ってたの。
それに、
登下校に私が付き添わなくては
いけない状態だったので、
私自分も朝早くに
身支度をしなくちゃいけないし、
夕方には、
下校に間に合うように
帰ってこなくてはいけない。
私の一日のすべてが、
私のやりたいようにではなく、
息子のことを中心に回っていて、
私の自由がないと感じていた。
とても息苦しかった。
>>次の記事に続く。
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