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「雑草という草は無い」

NHK連続テレビ小説『らんまん』で、主人公“槙野万太郎”のモデルとなった牧野富太郎のことばです。

植物学者として名前のない植物を見つけては名前を付けていました。

亡き妻・壽衛の名をつけたスエコザサ

スエコザサ

牧野富太郎ゆかりの地



高知県立牧野植物園
高知市五台山に、没後1年目の1958年(昭和33年)に富太郎の生前の希望も反映し開園した。敷地は6haに拡張され、1500種、13000株の植物がうえられている。開園当初は牧野の偉業を残し、観光植物園としての色彩が濃かったが、現在は有用植物に関する多くの研究者を擁し、世界的研究機関としての地位を築きつつある。
牧野富太郎資料展示室
高知県佐川町の佐川町総合文化センター内にある展示室で、富太郎の眼鏡や絵の具、所蔵本、手紙や墨書など遺品を多く収蔵している。
牧野富太郎記念館
上記、植物園内の付属施設で、本館と展示館の2つの建物にわかれる。本館には遺族から寄贈された蔵書約4万5000冊、直筆の原稿、写生画等、5万8000点が収められた牧野文庫を始め、植物に関する研究室などがある。展示館では博士の生涯に関する展示などがある。建築設計は内藤廣による。
練馬区立牧野記念庭園
東京都練馬区東大泉の自宅跡地を一般公開したもの。340種あまりの植物が植えられ、記念館には遺族から寄託されている博士の遺品が展示されている。2010年(平成22年)8月に記念館と講習棟を改修し再オープンした。常設展示に加え企画展示室では関根雲停服部雪斎の植物図展覧会や植物標本の展覧会が開催されている。曾孫・一浡(かずおき)が2010年より学芸員として運営に携わっている。
東京都立大学牧野標本館
没後、遺族から寄贈された40万点の標本が収蔵され、一部は画像データベース化され一般公開されている。富太郎が90年の生涯を掛けて採集した膨大な植物標本の整理には半世紀の時間を要した。
牧野富太郎句碑
広島県北広島町八幡(旧、芸北町内)の臥龍山麓八幡原公園に1999年、富太郎が詠んだ句碑が建立された。句碑に刻まれた句は、富太郎が1933年(昭和8年)にはじめて八幡を訪れた際、湿地一面に咲くカキツバタの自生地をみて感激し詠んだものとされる。
まきのさんの道の駅・佐川
高知県佐川町に建設中の道の駅。富太郎にちなんで名付けられている。

Wikipedia
自生植物

牧野 富太郎(まきのとみたろう)

生没年
文久2年4月24日 〜 昭和32年1月18日
(1862年5月22日 〜 1957年1月18日)
出身地 高知県
職業・身分 学者(自然科学)

植物学者。家は酒造業。小学校を中退、独学で植物学を学ぶ。明治17(1884)年矢田部亮吉に認められ、東京大学で指導を受ける。21年より『日本植物志図篇』を自費で刊行。26年帝国大学助手、大正元(1912)年東京帝大講師となる。昭和2(1927)年理学博士、25年日本学士院会員。死去後文化勲章を贈られた。多くの新種を発見・命名し、植物学の啓蒙にも努めた。『牧野日本植物図鑑』(1940初版)等、著作も多い。

近代日本人の肖像


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