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ひとりごと集

一つの記事にするほどの熱さはない。
ツイートするには文字数オーバー
胸の内に留めるにしては抱えきれないほど雑多
でも手帳や日記を開くのはちょいとめんどくさい

そんな考え事や独り言、日々の記録、すきな言葉を記してみようのコーナーです。
ばーっと書いてるので、読みにくいです
(言い訳です、あたりまえに。)


「引きちぎれるほど寂しい目に遭った場所が、本当の故郷になる」について

この言葉には高校一年生の時、出会いました。引きちぎれるほど寂しいと思ったことはあるだろうか、卒業して親元を離れれば引きちぎれそうなほど寂しいと思うのだろうか、それとも失恋?うーん、卒業すればわかるか、と考えるのをやめ―――――現在、今いる場所を私は本当の故郷にできるのだろうか、と度々考えます。
不幸になりたい日ってあるじゃないですか。しんどい疲れた眠い苦しい寂しい。でもなんか元気になりたくないとき。この寂しさにしばらく身をまかせて浸っていたいとき。それだと思っちゃうんです、私。今寂しいのは、苦しいのは、辛いのは、そうなりたくてなってるんだって。だから、浸るのもほどほどに、はやくぬるま湯から出て、元気にならなくちゃ、不幸なふりはやめなくちゃ、って。拗らせてますよね、私もそう思います。
だから今「この瞬間の感情」に、正面から向き合えないんです。涙の一つでも出てくれれば、すっきりして切り替えられるのに。自分の負の感情を見て見ぬふりをして、のらりくらりと避けてきました。
だから何が言いたいかというと、「引きちぎれるほど」の寂しさを感じたことはまだありません。できれば、感じてみたかった。涙が溢れて溢れて眠れない夜を過ごしてみたかったです。平気なふりをして、平気だと言い聞かして、自分の叫びに、弱音に、耳をふさいできたので。
自分の感情を、人生を、本気で消化できないまま、通り過ぎるのを待つだけ、というのは、なんとも悲しいことです。



エビチャーハン

ってよくないですか?大好きなんです。エビチャーハンも好きだし、エビチャーハンを食べてる人を見るのも好きです。
エビチャーハンを食べてるときって、外からつついてご飯を解いて、エビを探しませんか?
そして最後の残ったチャーハンがレンゲですくえなくて、両手を使って箸でえいえいってしませんか?
実はあの瞬間、みんな7歳なんですね。その一瞬の時だけですよ。勘違いしないでください。



東京で 死んだら 渡り鳥になり 故郷の海で もう一度死ぬ

ツイッターで見つけた短歌です。今いる地で死んだら、私の魂はふらふらと漂い、故郷の海に戻るのでしょうか。



「笑わせたい」

笑わせたい、という感情って、なんて煌びやかで大きな愛なんだろうと思います。「祈り」と「願い」の違いを考えてた時期があって、それは自分なりに解釈し、咀嚼したつもりなんですが、では、果たして、「あなたに笑ってほしい」という感情は、「祈り」なのか「願い」なのか。せっかく消化できた問題が、また違う形で浮かび上がってくることが増えました。大人になった、といいたいです。


みたらし団子

つるつるもっちり、冷やしみたらし団子の作り方!という動画が回ってきて、そのサムネに使われているみたらし団子が可愛すぎて、もう胸がぎゅーーってなって。
ほんとうにつるつるもっちりしてるんです。
ちょっと話変わるんですけど、「つるつる」って言葉、撫でてみたら本当につるつるしてそうじゃないですか?「もちもち」もそう、「ふわふわ」も「とろとろ」も。個人的に「コトコト」が好きです。幸せのあったかい音。



成人式

今年、成人式です。学年の成人式用インスタが作られて、フォローがきました。運営の子と友達なので「昨日私のインスタフォローしたでしょ?」と聞いたら、「え、してないよ」と言われました。怖いです。誰だよ。
成人式が近づいてくると、学年の全体LINEができたり、インスタができたり。久しぶりにクラスメートの名前を見ると、不思議なもので、その当時の気持ちに戻ります。一気に頭があの教室にシフトされるんです。世の中を見渡すと、学生時代の記憶が辛さや苦しさで塗り固められている人が大勢います。私の学生生活は、サイコー!とまではいかなくとも、あの時代特有の青さや暗さに喘ぎながらも、それなりに楽しいものでした。目を閉じれば浮かぶ記憶の中に、青春の香りも淡く漂ってきます。
ただ、「あの頃、一度も話さなかったあの人は、何を考えていたんだろう」と最近よく考えます。同じ教室という空間で一日の大半を共にし、嫌でも一年顔をつきあわせていたクラスメート。どうして一度も話さず卒業することができたのか、不思議に思います。でもその人の心情を想像するのも、傲慢かもしれません。なにも知らない私が、勝手に思考を慮って幻想の人格を作り上げるのって、高慢なことです。私はその人の人生の登場人物にはなれなかった。もしかしたら、モブのクラスメート役として出演することさえ、できてなかったかもしれません。
留学中なので、行けるか微妙なところではありますが、成人式でしか会えない人も大勢いるわけで、やっぱりちょっと無理してでも行きたいところです。



求めることを諦めた人なんて、いないと思うんですよー

ほんとに。だからどんなに器のでかい人を装っても、結局歯車がおかしくなっちゃうんです。でも、こればっかりは、自分まだまだだな、なんて思わないです。求めることをやめた人は、全世界探してもいないと思います。



しゃばい

小さいころは「斜にかまえたガキ」で、今思えばたぶん中二病も入ってて、「人に興味がない」とか平気で口にしてたのだけど。
中学にあがってからは、インターネットにいる人を「イタい」「ダサい」と思うようになって、でもそういう発言をネットでしてる人のことも見下してたのだけど。
高校生では自分にも他人にも潔癖になって、特に自他の「自己顕示欲」「承認欲求」をすごく嫌悪するようになって、「SNSにほんものはない。」と本気で思ってました。人の目が通る前提のSNSで、他者を意識した文章も写真も全部純度100パーセントのほんものはない、と思ってて、でもそれは今でも少し思ってる節があるのだけど。
しゃばいものをしゃばいと思う捻くれを持ちながらも、まずはやってみて、あれ、なんだ、意外と楽しいじゃんとなるのが、自分的にも他者との関わりの中でも、一番健全で、一番生きやすいんじゃないかと思うんですね。
インスタのハイライト「me」に自分の写真を載せてる人にはなれなくても、ネイルのハイライトを作ったら、ちょっとだけ楽しかったんですよ。

いいじゃん、ベストセラーの本に感動したって。
いいじゃん、“花束みたいな恋をした”見に行ったって。
いいじゃん、今話題の邦楽ロック好きでも。



ハムスター

自分のことが嫌で嫌でたまらなくなって、私が持ってるすべてのものを、ハムスターにあげたくなる夜があります。
たとえば、視力。たとえば、言語。たとえば、寿命。
とはいっても、もうハムスター飼ってないんですけど。

犬派です。



清潔は孤独

清潔っていうのは、なにも、整理整頓されてて汚れや菌がない、って意味じゃないんです。自分の空間が自分だけのためにあること、自分の色だけに染まっていること。そう考えると、清潔って孤独でもあるんだなあと。
自分の匂いしかしない毛布、自分だけが食べるご飯、自分が汚した洗濯物。



あの子は海になりました、おしまいおしまい。

で終わる本を読みたいです。



死体

生きてる虫は平気なんです、ほんとに
田舎育ちだからか分かりませんが、どんな虫も怖いと思ったことがないんです。動物も好きです。寒くなったら、一人で動物園に行こうかと思っています。
ただ、死んでるとなると話が変わってきます。私、ほんとーーーーーーに死体NGなんです。死体の、空虚でうつろで、そこにあるのにない、からっぽ、っていう感覚が苦手なんです。
ずっと飼ってたペットが亡くなった時、触ってあげられませんでした。顔を見ることもできませんでした。でも理由はちょっと違ってたかもしれません。死体を見ることは、現実を見ることじゃないですか。死体さえ見なければ、死を正面から直視しなければ、その子はまだ私の中で生きていることに"なってる”んです。
先日、ゴキブリを殺しました。それまで俊敏に動き回っていた生き物が、ゆっくり足を閉じて動かなくなった時、その黒い身体からすーっと魂のようなものが抜けるのを、私は確かに感じたんです。今この瞬間まで息をしていたものが、すーっと消えてなくなり、空になっていく様を感じたんです。そして、私はいつか、このゴキブリと同じ死に方をするんじゃないかって。
スピの話みたいになってきました。ちなみに、無宗教です。



狂い方、耐え方

狂うのにも、耐えるのにも、お金がいるじゃないですか。
あれ、どうにかなんないのかなってずっと思ってます。
なんとかして、お金のかからない狂い方と耐え方を見つけたいですよね。



素直さの暴力

「美の暴力」って言葉、あるじゃないですか。kpopアイドルとかに使われるあれ。でも、ルックキズムが進む今の時代、どれだけ可愛い子が増えても、いや、増えれば増えるほど、素直さが最強になってくると思うんです。
自分の醜さを自覚した人間は、素直さをふるまうことはできても、自然と周りに人が集まるような絶対的な素直さを手に入れることは、永遠にできない。本当の素直って暴力性があると思います。この人の内面、人間性には勝てないなーと思うと、自分の人工的で造られた振る舞いが恥ずかしくなると同時に、私はなんて浅ましい生き物なのかと自己嫌悪に陥ります。
美しさや素直さに限らず、人は「本物」に憧れ、「本物」のふりをし、「本物」を持つ人に敗れるのかもしれません。



コーヒーと雲丹とパクチーです

私の弱みはあとこれだけです。今年の夏、茄子を克服しました。克服って言い方がよくないですね、大好きになりました。



ダイエットしてます。メイクもします。可愛い服も着ます。
でも、人間がどんなに頑張って努力して美しさを追及しても、大型犬が寝てる姿には敵わないと思うんです。
そう思いませんか?
思いますよね?



星空

昨日友達と一緒に帰ってたら、その子が空を見上げて声をあげたんです。何かと思ったら、星がよく見えて綺麗って。180度空が見えるのもすごいって。そうして、写真を撮り始めたんです。あー、今まで18年間見てきた天上の広さって、当たり前じゃないんだなって思いました。最近よく地元のことを考えています。大嫌いでした。田舎特有の過干渉も、それでいて何もないことも。狭い世界で狭い世間のつまらない話を聞くことも話すことも、うんざりでした。でも満天の星はiPhoneでは写らないこと、肥料を踏むと牛糞の匂いがすること、違う場所で生きてきた人たちは知らないんだって。そっかあ。何もない街は「何もない」の代わりに、色んな風景を見せてくれたんだなあ。


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