”感謝”の気持ちが、分からない
今から、本当に情けない話をする。慰めの言葉は十分すぎるほどに貰ってしまったので、せめてこの文を読んでくれる人には笑ってもらいたい。笑われる覚悟なんてあるし、自分が一番自分を笑っている。だから、もし読んでくれるのなら、所詮は何者でもない一般市民の戯言だと思って読んでほしい。
僕は受験に落ちた。それも、二つだ。
今日、大学受験の合格発表が出た。僕の数字はどこにもなかった。
6日の時点で結果が出るのだから、そんな大それた大学ではない。寧ろ、同級生からは鼻で笑われるような大学だから、どうか僕を頑張ったとは思わないでほしい。謙遜など一切抜きに、僕は何も高尚なことはせず、無論ゴミのような結果しか出さなかったのだから。
僕の成績は日本中の高校生の中でも一際低い。それはもう、酷い。900点満点の模試で150点をとったことのある男だ。高1の夏以降提出物は一ミリも出さなかったし、週に1つか2つの授業しか受けた覚えはなく、他は全部爆睡していた。教師から何と言われようが何の努力もせずに生きていた。毎日毎日学校で寝て、部活して、ゲームして…。寧ろよく飽きなかったものだ。今はもうゲームを純粋に楽しめもしないのに。
断っておくが、僕は学校で最底辺の成績を恣にしながら、別に課外活動に精を出していたわけではない。部活も、万年補欠だ。特筆した取り柄一つない、凡人以下の出来損ないであって、そこはもう本当に否定しないでほしい。
だから、そのころの僕は大学に行く気なんてさらさら無かった。そして、今からそんな僕がどうして態々大学受験をしたのかをつらつら書き綴っていく。特に面白みはないと宣言しておく。
大学に行かない道を選ぶ場合、無論僕には高卒就職の道しか残されていない。起業なんてたいそうな志はなく、当然実力もない。
僕が大学に行くことを決心した理由は、今この文章を書いている場所。18年間僕を育ててきたこの家から出たかったからだ。
僕の両親はいたって普通で、僕もそれはもう普通に育ってきた。教育に熱心なわけでもなければ寧ろ僕に何か結果を求めるようなこともなかった。ただ、家庭の空気は最悪だった。あまり深堀はしないが、笑い話として話しても友人が笑いにくいと回答するくらいのレベルだ。だから、平均と比べれば少々険悪な環境ではあったのだと思う。
はっきり言えば、僕は両親が大嫌いだ。小学生のころから殺したいと思いながら必死にその衝動を抑えてきたし、今でもたまに衝動に駆られる。昔を鑑みれば、今は随分感情のコントロールが効くようになったと思う。
そんなわけで、僕はとにかく家を出たかった。一人暮らしがしたかった。
しかし、我が家にそれほど貯金はない。私立に行くことは絶対に無理だし、最近は遠方に出るなら国公立大学ですら厳しいと言われた。そんな環境の中、どうにか約束を取り付けて、国公立大学に合格することを条件に一人暮らしをする許可を得た。
しかし、その時点で高3の夏休みが始まっていた。今から国公立を目指すのは、僕の成績を考慮すると相当頑張らなくてはならない。正直、この点に関しては僕は本当に頑張ったと思うから、そこだけは褒めてほしい。
ところで、僕は冒頭2つの受験に落ちたと書いた。一つは今日結果の出た前期だ。これは、自分の中で相当にギリギリなラインだったと思う。センター試験の得点も微妙だったし、二次試験の感触も微妙だった。そして、その曖昧さを冷酷な数字の羅列が両断した。
これは、正直仕方ないと思う。もちろん信じられないくらい悔しいが、原因が努力の不足だとハッキリしているし、何より、譲れない動機を持って受験したわけではなかった。だから、悔しいけど認められた。
だけど、もう一つは違った。僕は、死んでも負けたくない戦いに負けた。
僕には夢があった。今はもう書けなくなってしまったが、昔は小説家を目指して一心不乱に小説を書いていた時期があった。
小説家を目指すきっかけはいろいろだ。僕の場合は、慢性的な人生や社会に対する不満や憤りが原因だったのだと思う。始まりはそんな重苦しい感覚ではなかったが、年を重ねるほど厭世的な自己否定は高まって、それをどうにか昇華しようと藻掻いていた。
今はもう、そんな牙はない。僕は自分の存在意義に納得がいったし、生きる意味も見つけた。ただ、そうなるとどうしても僕の中にはある願いが生まれてしまう。
どうか、自分のような、否、自分よりももっと苦しい環境に生まれた子供が、二度と同じような苦しみにとらわれませんように。
自分の人生一つ満足に生きられていない僕だが、これは僕の新たな夢だった。政治学も経済学も社会学も、それらを僕が好きになったのはこの思いからだ。そして、僕が学びたいと思う学問、必要としている能力をバッチリ当てはめたような大学を、本当にたまたま見つけてしまった。
聞いたことはある人が多いと思う。慶應SFCと呼ばれる大学だ。
この大学ははっきり言って、僕の実力ではまず受からない。それこそ当てずっぽうでマークした問題が全部合ってくれでもしないと合格できないような大学だ。しかも、僕がその学部を知ったのは9月くらいで、そこに行きたいと思ったのは12月くらいだった。
今思えば、なぜそんなに受けたかったのだろうか。あまりに偶然的な出会いに、運命などという空想を描いてしまったのだ。絶対に無理だと言う教師を、親を、受かるから受けさせろと懇願した。センターの得点で何とか納得させた。ギリギリで出願して、一か月間、過去に例を見ない猛勉強をした。人生を賭けたと言って遜色ない。ネットの情報を漁り過去問を解き、とにかく勉強をしたと思う。
そして、いとも容易く落ちた。
僕が前日から心臓の拍動を抑えられなかったといいのに、結果はたった5秒で僕に現実を教えた。
言葉は、何も出なかった。それどころか、何も感じなかった。目の前に現れた不合格という文字と、一分は向き合って、画面が勝手に閉じた。その頃にはあれほど高鳴っていた胸の鼓動はどこかに行ってしまったようで、何を示し合わせたのか雨の音が静かに窓から聞こえてきた。そんな演出はまったく求めていなかった。ただ、茫然と枕に顔をうずめながら、何も考えず、暫くそうしていた。
以上が、僕の受験体験記である。
人と同じだけの努力もしてこなかったし、正直当然の結果だと思う。それでも、本気で受かりたいと思って、短い期間ながら自分の全力を尽くした。そこに後悔はあれど、未練もあれど、疑いはない。
落ちてから今日まで、ずっと頭の中から喪失感が離れず、寝ても寝た気がしないという地獄を味わった。今日落ちたことで、多分、漸く自分の実力を見つめなおせたと思う。身の程を知って、なにか吹っ切れた感覚はある。今は後期に全力を尽くしている。
ただ、ここまで書いただけではこの文章は終わらない。実のところ僕は、この先こそが書きたかったのだ。
茫然と枕に顔をうずめた後のことと、そこで僕の感じた切なさこそを、今ここに書き記そうと思う。
枕から顔を上げて、ラインを開いた。一通のラインが来ていた。小学校からの付き合いで、近所に住んでいる友人からだった。彼も前期試験が終わった後で、受験にひと段落ついたころだった。そんな友人が突然、遊ぼうぜ、とラインしてきた。高校に入ってからそんなお誘いは一度もなかった。しかも恐ろしいことに、彼はその日が合格発表の日であることはおろか、僕が慶應SFCを受けていたことすら知らなかったのだ。本当に、たまたまである。理由はあれど、よもや僕の傷心を慰められるなどと一ミリも考えず、それなのに僕の心を確かに絶望の淵から救ったのである。
彼とは七時間ほど、昼飯も食べず話し続けた。彼とそんなに喋ったのは、小学生のころ以来ーー寧ろ、小学生のころでさえなかったかも知れない。
そして、同日の夜は数少ない僕の受験のことを知っている友人たちと夕飯へ行った。焼肉半奢り、カラオケ全奢りで深夜一時まで歌いまくった。この際深夜徘徊には目を瞑って欲しい。
翌日は登校日だった。ほとんど友人などいない僕だが、最低限話しかけてきてくれるクラスメイトが一人いた。
彼もまた僕の受験のことは露知らず、何事もないかのように前期の話を振ってきて、いつも通り話した。そして、僕が笑い話にそのことを話したら、驚きながらも笑ってくれた。なのに、家に帰ってラインを見れば励ましの言葉と、小粋なジョーク。これではもはや、僕は哀れな子供である。
その後も、僕にしてはかなり多くの友人から励まされたりとか、笑われたりとかを、した。そして今日前期に落ちたことを話して、また慰められ励まされ、応援され。
言っておくが、僕には感謝の気持ちなんてこれっぽっちもない。自分本位で自分勝手でノリもよくないし、きっと心の中でどいつのこともこいつのことも馬鹿にしている。スポーツの壮行会や会見で、両親や友人やコーチや監督に感謝の言葉を述べる奴ら全員馬鹿にしている。そんなの建前だろうと本気で思っている。結果がすべてだと思うし、失敗は笑われて然りだと心の底から思う。
今、励まされても応援されても、別に感謝しないし、ありがとうなんて言っておいただけだ。頑張るよ、とは言ったがそんなの態々伝えてあげるようなことじゃない。こんな付き合い建前だ。
今でもわからない。両親にも友人にも、感謝なんてできない。彼らのおかげで今の自分がいるなど、ちっとも思わない。
なのに、どうして。僕は誰にも優しさなんて振りまいていないし、気の利いたことなんて何も言ってない。これからも言わない。なのに。
そんな風に優しくされたくない。優しさは、返せない。笑われるくらいが相応しい。本当に本当に、大層な人間ではないのだ。
今、僕の心の中にある思いは、一つだ。僕を落とした大学を後悔させてやろうという、自分らしい捻くれた意気込みだけだ。
でも、本当はもう一つある。なんとも形容し難い、変な気持ちだ。暖かくて、でも、切ない、よく分からない感覚だ。
きっと、これが小説ならここで終わる。主人公は未知の感情を覚え、それまで馬鹿にしていたものを認め、成長する。
残念ながら僕は主人公の器じゃない。だから、本当はこんな感情なんて抱いてなんていない。それっぽいことを書いて、締めを美談っぽく括ろうとしただけだ。
それでも、こんな出来損ないの人間の稚拙な文章を読んでくれた方々に向けて、心からありがとう。
そして、最後に。僕は主人公じゃない。だから、残念なことに僕の物語はここでは終わらない。