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ママはひみつが多すぎる②【ママは旅と出会いで鍛えられた】 

あんたの初海外旅行はガーナ(1歳3か月)


あんたは当然わかっているけど、ママは旅が好き過ぎる。
今、あんたは15歳。ママと色んな国を旅したね。
シングルマザーで実家の支援もないのにさ、
あんた15歳にしてパスポート3冊目!
あ、忘れてたけど、そろそろ4冊目の更新しないといけない。

ママと最初に行った国はあんたが1歳3か月のときのガーナだったね。

あんたが生まれたときに
「ああ、きっと子どもが生まれたら旅できないんだろうな」って、少し落ち込んでね。
ならば、子どもの飛行機のチケット代がかかる前にうんと遠くに行っておこうと思ったんだよ。
あんたのバイオロジカルパパの国、ケニアに行こうかとも思ったけれど、彼はインドに留学中で大学院で勉強してたからケニアの家族に子どもができたことなんて言ったら「殺される」ってことで、ケニアに行くのはやめておこうと思ったし、
ちょうどそのころ、勉強で忙しいのか突然、パパからの連絡が途絶えていて、あんたのパパに対して「こんちくしょー、連絡もよこさないで」って腹を立てていたから、ケニア行きは論外だった。
まさか、そのとき既にパパがガス爆発で死んでたなんて知らなかったからね。仕方ないよね、人生ってそんなもんだよ、ねえ息子。

まあ、でもアフリカには行きたかった。
だってあんたのルーツの半分はアフリカだから、やっぱり親としてはアフリカの空気を知っておかねばと思ってたんだよね。

親切なガーナのおじさん

そこで登場したのが、ネットのチャットで知り合ったガーナ人のおじさん。
名前なんだったかなあ。サミさんだったかな。
ママがインドに留学する前に、ネイティブじゃない人と英語で話す練習をしていたときに知り合った人だけど、その人が遊びにおいでよと言ってくれた。

よく、会ったこともない人を信じてアフリカまで行くよね?
と思うよね。うん、私もそう思うけど、旅しまくってた野生の勘みたいなもので、この人はそう悪い人じゃないなって思ったんだよね。
実際、本当にだたのいい人だった。
そして、そのサミさんの友達や親族の皆さんも本当に親切すぎてガーナ人ってすごい!って驚いたよ。
だってママ、滞在中、お金ほとんど使うことなくて、みんなガーナの人たちがごちそうしてくれたり、観光地に案内してくれたり、メイドの女の子ですら帰国間際にアフリカンドレスをこしらえてプレゼントしてくれたり、
あんたの出産にまつわるあれこれで相当落ち込んでたママはガーナで生きるエネルギーをもらえたよ。
あの人たち、本当はなにか下心はあったのかもしれないが、それでもめちゃくちゃ優しくしてもらって、大切にしてもらえたことでママはこの先の人生も頑張れそうな気持になれたんだよね。

イスラムに導かれてた?

あの時の旅でお世話になった彼らは皆クリスチャンだった。
まさかその後、私がムスリムに改宗するなんて、そのときは思いもしないのは当然なんだけど、今思うと面白いことがあったんだよ。

ガーナのお土産を買いに民芸品市場のようなところに連れていってもらったりして、何かを購入したんだけど、ママがどうしても欲しかったのは
なんと西アフリカのイスラム教徒がウドゥー(礼拝前のお清めのこと)に使うあれね、あれが欲しくてね。
でも当時はあの派手な縞々模様の安っぽいプラスチックのやかんがムスリムだけが使うものだなんて知らなくて、サミさんに強引に「あれを買いたいので店に連れて行ってください」とお願いして怪訝な顔されたものだったわ。
だって、イスラム教徒でもないのになんであんなのが欲しいのか謎だろ。
キリスト教徒なのに、仏教の木魚をやたら欲しがるような感じかもしれない。確かに妙だわ・・・・。
あれは将来、ママたちがムスリムになるという合図だったのかもね・・・・。
結局、根性で入手して高知の家でずっと使ってたよね。
ウドゥーじゃなくて庭の植物の水やりとか、あんたの水遊びのおもちゃとして。
その9年後かな?あんたとガーナにまた行ったとき、街中でみんながプラスチックやかんでウドゥーしてるのをみて、ママ、もうおかしくておかしくて心の中はお祭りだったよ。人生っておもれーなあって。

ママは雑です

ガーナに行くにはさ、予防接種が必要なんだよね。
当然、我々も黄熱病の注射をしたよ。
でも「黄熱病の接種をしたら母乳は与えないでください」って言われちゃってさ、まだあんたは絶賛母乳飲用中だったから、はて、どうしたものかと悩んだの。
でも、あんたも黄熱病の注射をしたわけだし、検疫所の人に
「母乳をやめることに意味ありますかね?」って聞いたら
「確かにそうですねえ」って言うから、普通に母乳も続けてた。
雑な子育てだったわ。とりあえず、なんともなく成長しているし大丈夫。と思うことにした。

ママがインドにいるときにね、路上で子育てしている人たちをたくさんみてきた。
あれをみてね、「路上でも育つなら日本なんか天国だろ!」って思ったね。
だから多少雑な子育てしても大丈夫だろうっていう根拠なき自信もあった。

その後インドでお腹にあんたがいるときから、多少の無理をして死んでしまうような命なら死んでしまえ!って思ってたし。
神様があんたを私によこしたということは、その子も過酷な人生になることをきっと覚悟してるだろうと都合のいいことを考えていたよね。
でもさ、ちっとも過酷じゃないよね、だからあんたは、ぼーーーーっとしてのんきな性格だよね。批判じゃなくて、discribeしてるだけ。

ガーナの子育てにあこがれた

ガーナのその旅で知ったことは、
日本の私が知っている子どもたちよりも
ガーナの子どもたちは親の手伝いをよくするし、ティーンの男の子たちが
赤ちゃんの面倒もちゃんとみれるし、あの子たちは家にお金もあったからだとは思うけど、勉強もよくしてたし、自分の意見も言えたりとしっかりしてみえた。
あんたもそんな風に育ってほしいなって思ったけど、どうやったらそうなるのかはママにもわからなかった。

あんたくらいの歳のお兄ちゃん(15~16歳)が「赤ちゃんのお世話任せてね」って言うから、まあ、長くても10分かそこらで「はい、遊んであげました」って返しにくるだろうなって思ってたの。
そしたらね、なんと4時間も面倒みてくれたよ。しかも、おむつもかえて、シャワーもして、ご飯も食べさせてた。
さらに驚いたのは、4時間もママなしでもケロっとして楽しそうにしてるあんたよ。
それを見て「ああ、私がいつ死んでもあんたは生きのこっていけるわね」と安心した。
幸い、まだ生きてるけどさ。

あのときの人たち、みんなどうしてるかしらねえ。
連絡先、もう手元にないのよね。
サミさんの友達の材木屋さんで家具を作ってたズマさんは病気でかなり若くして亡くなったのは聞いたけども。
ズマさんがくれた西アフリカの音楽のCD、あれはどこに消えてしまったんだろう。
お気に入りだったのに。
今だから言うけど、ズマさんはイケメンでママのタイプだったわ!!!
とてもやさしくて親切で紳士だったから、そういう人は早くに天国に行っちゃうんだよね。
いつも七面鳥の焼き鳥とオクラスープをごちそうしてくれたっけ。

あの頃の写真、一枚もないのよね。

どこにいったのかしら・・・

たぶん、たぶん、ええ、そう。
イタリアに置いてきたんだと思う。

ママの大失敗のイタリア、ジェノバ編でいつか説明するわ。




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