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大森靖子が一度しか花譜の楽曲提供者にならなくて本当に良かった

KAMITUBAKI STUDIOに所属する花譜というアーティストをご存知でしょうか。Vtuberシンガーソングライターとして活躍してる女の子で、武道館ライブも開催するぐらい人気度もある。そのため、名前だけは知っているという方も多いと思います。

おそらく、Vtuberシンガーソングライターというカテゴライズの中ではおそらく彼女が1番有名なのではないでしょうか。と言うより、Vtuberに関してはにじさんじやホロライブ等がYoutubeで一世代を風靡していますが、Vtuberソングライターとなると俺にはKAMITUBAKI STUDIOぐらいしかレーベル会社が分かりません。悪い言い方をすれば、個人的に花譜は「狭いカテゴライズの女王」というイメージです。まぁ、俺が普段聴くのが主に邦楽ロックやボーカロイド中心なので、単に知らないのか、本当に知名度がないのかは知りませんが。

さて、ここまであまりいい印象の書き方をしてこなかったように、正直俺は花譜というアーティストがそこまで好きではありません。いや、トーキョー・シャンディ・ランデブーは普通に好きだし、歌声も綺麗という言葉だけでは無い癖があって好きなので、花譜が嫌いという話では無いのでしょう。あと、トウキョウ・ヘイセイ・ダイガクや粗品のソウトウ・シャッキン・フクランデルとか、俺大好きです。

良すぎる……。インターネットに毒された脳に、interestingが響いてるよ……。

だけど、本来花譜のファンが好きだと言う楽曲がこっちなのも知ってます。

過去を喰らう。今見たら再生数1700万越えてました。恐ろしいですね。ちなみに理芽の食虫植物は、今見たらなんか再生数4000万越えてました。どの要素であんな大バズりしたのか、本当に理解に苦しみます。そんな大衆受けするような曲でもないだろ、あれ……。まぁ、好きですけど。

で、過去を喰らう。普通にいい曲ですよね。思春期特有の悩みとか理不尽を飲み込めない感情とか、そういう若い子達のぐちゃぐちゃになった情緒が詰まった曲だと思います。挙句、儚げな可愛い女の子が意味深な表情で街中を歩いてる姿はオタク受け抜群でしょう。マジで、恋愛感情で花譜見てる男子高校生とかいるんでしょうね。でも、馬鹿に出来ないんだよな。正直、俺も男子高校生の時、花譜出てきてたらガチ恋しそうだもん。モテなさすぎて酸欠少女さユりにガチ恋してた俺が言うから間違いない。 

だけどまぁ、俺も3月で24歳になるわけで、いつまでもそう言った思春期特有の悩みなんかに振り向いてる訳には行かんのです。別にこの歳で花譜(というより、作詞作曲してるのはカンザキイオリなのでカンザキイオリか?)を聴いて感動とかするのを否定する訳では無いが、(まぁ、この言葉がもう自分の頭の中では受け入れられないと思っている証左なのですが)この歳になると理不尽に逆らうという気持ちよりも受け入れるという感じになっていく。だから、もはや別にtiktokで聴くに堪えないゴミカスゲロチンカスバンドがバズってても俺は怒りとか湧かないです。別にまだ法律で規制されてるわけではないので。合法なら良いと思いますよ別に。

だから、要約すると、いい曲だとは思うけど、僕には見合わない。そんな曲だと思います。うっせぇわに「あんなガキくせぇ曲……」とか言って馬鹿にしていた人が居ますけど、そもそも大人になった僕らの価値観と思春期の少年少女向けの曲という時点で差異は生まれてしまうんですから。童謡聴いて、「ガキの聞く音楽じゃん」なんて馬鹿にする奴に音楽聴く権利なんてないですからね。それと同じだと思います。

だけど、花譜のイマジナリーフレンド、この曲は本当に凄い。凄すぎる。この曲はVtuberシンガーソングライター界の革命になりうる。ほんまに。それだけが書きたくて、今日僕はこのnoteを作ってます。とりあえず、まずは黙って聴いてくれ。

本当に良い。俺が仕事の昼休み中、休憩室で寝てるフリをして春猿火のカバーアルバムを聴いていたら偶然知った曲なのですが、それから延々とこの曲をリピートし続けている。ちなみに、福出(俺)は社交性が無いので、休み時間はずっと机に突っ伏しています。高校生時代から習慣が変わってないの、おもろすぎるな。

まぁ、俺の話はいいとして、この曲はシンガーソングライター、大森靖子が作詞作曲し、花譜に提供したものです。楽曲提供という形でも、大森靖子という存在が全く消えてなく、アイロンの焦げのように深く染み付いているのは、それだけ大森靖子の色が強いということでしょう。

ニュースで見た事故現場は あの日の待ち合わせの場所だった 唯一だった青春がな 盗まれちゃった感じ、なんか

友達ってさ都合良くね そばに居てくれる人なんだ そんな暴力僕ヤダから 君だけしか話せなかった

ほんと、大森靖子の歌詞は時折こっちの情緒までおかしくする。都合良くそばに居てくれる。それはその行為が許されていることが前提にあるはずですが、それを暴力と表するか。そして、それを楽曲提供という形で歌わせるか……。

更に、うさうさうさちゃんの憂さ晴らし等、可愛らしい女子高生みたいな繰り返し繰り返しの歌詞もあり、上記と併せて本気で人生に悩む少女の自己開示を聴いてる気分になる。カンザキイオリが花譜に提供する曲の歌詞は向けられてる刃が自己よりも世界の方だと思うんですけど、大森靖子はひたすら自分の心に刃を突き立てまくって、掘り出した自分にとっての正解を抱きしめてるような歌詞なので、没入感が本当に違う。

うまくやれた瞬間なんてない うまくやろうって思うのをやめるのが行き方って分かっちゃったから

ここ、歌では台詞として読み上げられる部分なのですが、花譜の表現力も合わさり、暴力的な火力になってる。挙句、最後の最後に花譜が読み上げる「イマジナリーフレンド!」ですよ。どんだけアイデア持ってるんだという。

ほんと、名作として語り継がれるべき作品だと思います。そして、だからこそ思う。本当に、普段の花譜の楽曲提供者がカンザキイオリで大森靖子じゃなくて良かった。大森靖子だったら間違いなくここまで売れてなかった。

例えば、花譜の不可解。これ、花譜の中でもYoutubeで二番目に再生されてる曲で、まぁ普通にいい曲だと思います。穏やかな「うっせぇわ」という感じがしますね。Ado好きな高校生は大概花譜も好きだと思います。知らんけど。

こんな感じで、花譜の他の曲と比べてもらえばわかると思うのですが、明らかに大森靖子は色が強すぎる。簡単に言えば、共感の包囲網の違いです。カンザキイオリの提供曲は思春期の高校生とか大学生とか、その辺全体にぶっ刺さる。だけど、大森靖子を好きという層のメンタルは全体的にそんな可愛くない。ホスト狂いとか、手首がギロみたいにになってる男女とか、明日、私は誰かのカノジョ愛好家とか、あと水商売で働いてる人とか……。別にそこまで人の深淵に近づく必要は無いけど、傾向的にメンタル限界の閾値に近い人達が好きな歌手だと思うんですよね。
  
で、一曲提供しただけで、この完成度じゃないですか。下手な映画なんか平気でぶち抜くぐらいの没入感。だけど、本当に人は選ぶ。そんな曲だと思います。芸術音楽としては正しいけど、大衆音楽としては正しくない。過去を喰らうや不可解はイオンで流せるけど、イマジナリーフレンドは難しいみたいな。

で、もし仮に大森靖子が正式な音楽提供者だったら、恐らく花譜はここまで成功しなかっただろうと。いや、でもZOCが普通に成功してるんですよね。なら、行けるのか……? でも、例え花譜×大森靖子が成功しても、アルバム出す度にVtuberモデリングにタトゥーの数とかピアスが増えていくんだろうな。ちょっと見てみたいなそれ。

だけど、この世界軸の花譜は、カンザキイオリと手を組んで、苦悩の大衆性を手に入れた。そもそも、アニメ調の可愛い女の子が意味深な歌詞や世俗を憂う歌を歌うのが、シンプルにオタクの心を掴みやすいのは間違いない。要約すると、本当に上手い商売だなと。賢い大人は、若者がどういうものが好きか、心惹かれるか本当に理解してるんだなと感心する。ずっと真夜中でいいのにとかadoを見ていても、儚げな女の子が憂いたり怒ったり意味深な歌詞を歌って、それを本気で売り出せば客はついてきやすい。それが共感なのか、恋なのかは知らんが。

結局僕らは賢い大人達が勧める音楽を、大人しく享受することしか出来ない。

だって学校なんかじゃ責任感とか、団体行動だとか ありもしない、意味の無い将来のためとか言って教えてくるじゃん

花譜 不可解

まぁ、世の中に反抗したい気持ちを抱える若者達への曲を、人気が出そうな商売として大人たちが広告してるのは死ぬ程皮肉っぽいですが……。

だけど、ちゃんと実力もあり、レーベル会社からの強い援護もある彼女が、アーティストの中でも大舞台に立ったのは本当に納得出来て、その中でも大森靖子という個性の塊が花譜という歌姫に提供した曲が本当に最高だった、ということを知らせたくてここまで長い文章を書きました。本当に良い。マジで聞いてみてください。

では。

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