#1 笹川真生
風邪をひいて、鼻をかんだティッシュの紙。本棚に入っているお気に入りの漫画、小説。買い換えて使わなくなったPC。小学校の頃にサッカークラブに居た時、参加した大会で貰った優秀選手としての小さなトロフィー。
結局、そのサッカークラブは行くのが嫌になったから辞めてしまった。
そんなチクリと心臓のあたりに刺さる過去ばかりを、抱え込んで生きてしまった。例えば、好きだったあの子に振られたこととか。そんな感傷ばかりが私だと、思い込むように生きてしまったみたい。
そんな自責の応酬など死ぬほどくだらない、と思う。俺は俺を苦しめるものを全部殺してやりたい。痛いのはいやだから。些細な不快も、すべて憎んでいる。
なんて、くだらないことを考えてしまうのは、僕の中で孤独の花でも咲いているからなのだろうか。どう足掻いても、人はいきなり襲ってくる孤独感からは逃れられない。埋められない寂しさ。虚空。空白。空洞。空っぽ。誰の何者にもなれない。一度ぐらい、誰かの大切になってみたい? そんな問いも母さんが見たらどう思うのか。とかいう、馬鹿馬鹿しい自問自答。
大事なのは、そんな機会が多いかどうか。あなたがもし、そんな機会が多い人間だとしても、僕には何の関係はない。多分興味も持てないんだろうな。だけど、あなたは僕に興味を持ってほしい。この世の幸福全て俺に向いてほしいし、そのためにも全部俺の都合の良いように回ればいいと思っている。俺が好きなものもお前らに好きだと言って欲しい。それを人は押し付け、とでも呼ぶのかな。
というわけで、笹川真生さんについてです。どうか、どうぞ。
芸術なんて、これ一つ展示すればもう何もかも完成するんじゃないかというぐらい、素晴らしい楽曲。最近通勤の時、Apple musicで延々とこれ垂れ流している。なんなら、このnote書こうと思った理由も突き詰めればこの新曲が理由です。この曲、本当に最強すぎる。
MVでも一本の映画を凌駕してしまう作品というのがたまにあって、これはそういう作品だと思います。米津玄師のKICKBACKとかLyu:LyuのメシアのMVも心が激情するじゃないですか。その類いです。
詳しく書きます。さっきも言ったが、人にはどう足掻いても埋め合わせられない寂しさがある。まぁ、このセリフは浅野いにおの『おやすみプンプン』から用いた台詞で、自分で考えた訳では無い。
そして、それが本当にすべての人に当てはまるのかは分からないけど、少なからず僕にはそういう瞬間はある。昔ほどではないけれど、部屋で一人でいる時とか、たまに脳裏に化物のような姿になって、飲み込まれる時は、ある。
歌詞の意味、なんて分からない。もしかしたら、子どもが思いついた言葉を話す、言葉遊びみたいなもので、そこに意味なんてないのかもしれない。
だけど、選び出された単語の羅列や、不穏だったり包み込まれるような曲調全てに、その孤独感に寄り添ってくれるような優しさがある。それを優しさのように感じるのは、あくまで俺がこの曲を好きだからというだけかもしれないけど、この曲にはそういう威力がある、と思う。
この曲を初めて聴いてから、もう3年も経ったのかと思って、少し驚いてしまった。開幕、収縮されてしまったかのような音の爆発から、緩やかな不穏。からのサビの爆発。曲調時代はaメロ、bメロと落ち着いているのに、編曲から不安を煽って、その末路みたいな最後の歌詞。何がすごいかって、こんだけ曲調で暴れといてすっと耳に入ってくるところ。端的に言えば、作曲センスが異端すぎる。
この曲が収録されたアルバム、『あたらしいからだ』は一度聴いてみて欲しいのだけど、本物の傑作である。きのこ帝国の『フェイクワールドワンダーランド』、plentyの『plenty』the cabsの『再生の風景』とか、人がたまに人智を超えた曲の集合体を出す時があるのだけど、あのアルバムは間違いなくそのレベルの傑作。未完成の天国というか、天国と評された異空間で、時々聞こえる誰かの悲鳴の中でぼんやり映画でも見て暮らしているみたいな、そんな気持ちになる。
この曲も発表されて2年が経っているらしい。時の流れ、早すぎますね。
『あたらしいからだ』の収録曲と比べると、結構毛色が変わったような感じがする。この曲や異邦人やエイプリルなんかは、世界観にどこか現実感が混ざりこんでいる。まぁ、エイプリルはリメイクなので変化と称していいのかは分からないけど。歌詞もどこか救いを宿している、ような気がする。
だけど、作曲センスに関しては相も変わらず異端。魔女狩りされたって文句言えないレベル。理芽さんとかの提供曲に関してはここまでとち狂ったように自分の色は出していないけど、改めて聴くとバランス保ったまま独自の世界観を吐き出しているわけで、凄い。
このMVも非常に最高傑作な出来となっているので、一度ご覧くださいな。
で、何よりもすごいのが笹川真生さんの描く曲に関しては、外れがないということ。好みとか好みじゃない、みたいな感想はあれど、どれも味がある。キタニタツヤさんとかColormalとか、有名どころだと米津玄師さんとか、どう足掻いても駄作を書けない作曲者たちっていて、シンプルにそれが恐ろしい。単に天才って表現すれば楽だけど、それをきちんと言語化するのなら
卓越したバランス感覚で誰もが聴いたこともない曲調で曲を作り出す能力に長けている
のではないでしょうか。それを曲に落とし込むセンスというか。もちろん、世界観的に万人が気に入る楽曲ではないのかもしれないが、個人的には最強だと思ってる。
最後にこの曲で締めくくろうと思う。ねぇママ。
三年前ぐらいから笹川真生さんを知って聴きだして、未だに妄執的に彼の音楽に取り付いているのは、大学を卒業してから僕が全く成長できていない事の証なのだろうか。ある程度幸福である程度不幸で時々激高して恋人が離れ離れになる映画で泣いてあとリコリスリコイルが終わった時も泣きました。あのアニメが終わるのが悲しすぎたので。
ただ、成長していないという以外の理由を探すのなら、一つ思い当たる節がある。いくらでもキモいと吐き捨ててくれていいのですが、いつだったか知らない人のTwitterの投稿で
『風俗系の店で働いていた時、サラリーマンのおじさんの相談を聞いた後、その男性の頭を優しく胸で抱き、頭をポンポンしたら泣いてしまった』
という投稿があり、僕はそれに非常に納得してしまったんですよね。なんかこう、同じ事されたら絶対僕も泣くというのが直感的に理解できた。僕という人間を表面的でも理解され、優しくされて頭をなでられる。これって本当に奇跡的なことだと思うんですよ。自分の心の奥底を話して、優しい誰かにそれを理解されながら頭をなでられる。端的に言えば、愛情を与えられたい。二十三年間生きてきたけど、それがきっと僕の夢なんだと思う。
で、彼の曲を聴くと、そういう優しさだったり包み込まれるような感触がする。逆に言えばキャロルや三文芝居みたいな歌詞でも、同じ苦悩、なんていったら失礼だけど(誰かの苦しみや誰かの痛みを他の誰かが分かち合うなんて絶対できるわけがないので)それでも、似たような感情を覚えることができる。要は共感できるということ。
それだけの力が、笹川真生にはあるということだ。なので、聞いたことがない人は一度聞いてみてほしい。
というわけで、笹川真生さんについてでした。それでは。
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