小さな永遠の交差点で
さめじまみおさんが紹介してくれた、息子さん(カンちゃん)が小さい時のエピソードのラフ画を、漫画にしてみました。
みおさんと私は今「お互いにお願い事をし合う」という、
なんだか交換日記みたいなことを遊びでやってみているのだけれど、
みおさんから私へのお願いが「カンちゃんの思い出を漫画に描いて欲しい」だったのです。
私はみおさんが描いたラフ画そのものも好きだったので、
「え、このままでもいいじゃん」とも思ったのですが、
かわいい女性にお願いされると弱い私(笑)。張り切っていってみよう。
とりあえず、絵に起こす。
そもそも漫画をそんなに読まないし、どうやって描くのかすら良く分かってなかったのですが(初歩的…)、
とりあえずお得意の勢いだけではじめてみる戦法で、その変にあったコピー用紙にザッとラフを起こしてみた(とか言ってみたかった)。なんか、いける気がしてきたぞ。
よし、これからペン入れなどということをしてみよう(言ってみたいだけ)と、腕まくりしたはいいが、気づいたらもう夕飯時。横にはお腹が減ってふてくされている娘。慌てて台所へはしった。
私が台所でご飯を作っていると、いつも手持ち無沙汰で絡んでくる娘が今日はこない。「むむ、これは何かやってるぞ?」と恐る恐るリビングを覗くと、先ほどの下書き、じゃなかった、ラフ画を起こしたやつは、娘のたのしい塗り絵になっていたのでした(…黙)。
よし、清書。
「ところで漫画って何で清書するものなんだ?」とか初歩的な疑問を持ちながら、とりあえずいつ買ったのかも忘れた年賀状用の筆ペンを取り出してみる。
(ググったら清書ではなくてペン入れとか言うらしい)。
「これいつ買ったんだ?うわ、や、やばい、次で決めないとインク切れるわ!」などと騒ぎながらようやく仕上がりかかった一枚に限ってうっかりその辺に置いたまま洗濯を干しにいったりして、
もれなく娘により新たな線が足されている(むすめよ…泣)。
でも、今度は私がふてくされてブーブー文句を言いつつも、案外その線のセンスが良かったりして、そのまま採用されたものも一部ある。
子どもの線って大人では描けない自由さとスタイリッシュさを秘めていて、本当に羨ましい。
さて、着色。
またしてもいつ買ったのか分からないコピックをガサゴソと漁るも、全部薄ーい淡ーい上品でよく見ないと色の識別が困難な色ばかり。要するに使えるものがない(苦笑)。
もうこういう時は最強アイテム色鉛筆だ、とちょっと娘のものを拝借して塗ろうと思ったが、そう簡単に彼女が承諾してくれるわけもなく、
「いいよ。でも、いっしょにぬろうねー」とさらりと着色にコミット決定。
(うちの娘は何事も交渉ベースに持ち込むのがうまい。本当に私の子なんだろうか…)。
こうして出来た一枚。
みおさんが思い出す小さな永遠と、
私の中に小さな永遠として刻み込まれるであろう「今」という時間の交差点で生まれた一枚の絵。
なんだか、そういう感覚になれたのが嬉しい。
きっと、
イラスト的テクニックがどうとか、デザイン性とか、芸術的観点とかでみると、荒削りだったり、もっと工夫の余地があったり、ブラッシュアップが必要な部分もあると思います。私もこれからそういう部分を必要であれば磨いていくでしょう。
だけど、その前に私は体験してみたかった。
みおさんが、カンちゃん(息子さん)との時間に見出した小さな永遠を、
私も描きながら今の私生活の中で、同時体験してみたかったのだ。
きっとコラボするってそういうことなんだと思う。
みおさん、素敵な体験を、どうもありがとうございました。
今度は私からみおさんにお願い事をしてみています。
交換日記のお返事が来る時みたいに、ワクワクしています。
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