048. みえた色のままに - 木シリーズ3 -
一日一描。
今日は昨日まで描いた木の絵に色を塗った。
色塗りはやりかたがよくわからないから、みえたままの色をただただ重ねていった。
太陽光にあたった植物は、室内では見えない陰影や、色の広がりを見せてくれる。そして今の私には作れない色も、感じさせてくれる。
最初は適当に目についた木をスケッチしようぐらいの感覚で、薄いクロッキー帳に描き込んでしまったんだけど、今度はもうすこし厚手のスケッチブックをつかってみよう。
最近、メモ帳や落書き帳に描くことが減ってきた。
チープな紙質のものへ一心不乱に描いていると、自分が幼い頃に戻ったような新鮮で懐かしい気持ちになれて、その幼くてまだ何にも知らない自分にグイグイと引っ張ってきてもらった感じがあった。
ちょうど、今のむすめ画伯みたく、上手、下手でなくてただ好きというだけで毎日毎日広告の裏へ自由に絵を描いていた頃の自分に。(今は絵を描けるような広告の裏紙ってないですよね。みんなびっちり綺麗に埋まっちゃっていて…)。
ちょっぴり寂しいけれど、まるでおもひでぽろぽろのように、その頃の自分の目の前に今の私が現れることができるとしたら、きっと、もうちょっとお姉さん用のスケッチブックを渡すのだと思う。
子どもの素直さや決められていない線の作り方は美しい。私もあの頃のように、と思うこともままある。
でも、素の自分って、=子どもの頃の純朴な自分に戻ること、ではないと思う。
その頃の自分含めた今、大人になった自分が紡いでいくものなんだと思う。
いつか、むすめ画伯もそんな風に思いながら絵を描く日が来るのかしら。
さて、今日は最近絵の具スランプ中のむすめ画伯と、水彩の水の使い方を勉強しました。
「シャボン玉たち」
乾いたところ色を塗り重ねたり、クレヨンで塗ったりして色々試していた。
「ママやって!」
「もう一回やって!もう一回やってみせて!!」
と熱心に紙を持ってやってくる。
こんなの、彼女が絵を描き始めた頃以来ではないだろうか。
懐かしいあの頃を思い出します。そしてものすごく大変で、そしてものすごく愛おしい記憶とともに。
子どもって、成長をする前に一度、今までの成長がどこかへ潜って一見退行していうように見える。でもそこを過ぎるとこちらがびっくりするぐらい大きな成長を見せてくれるのだ。今ならわかるが、当時子育てに悩んでいたのは、子どものその「潜水期間」とどう関わるか、ということだったように思います。
彼女は、きっと何かを壊して、また新しい何かを作ろうとしているのでしょうね。
フランスの雑貨屋さんで買ってずっと使っている固形絵の具もずいぶん使いこんで、大好きな青系の色はもうそこがみえてきた。
絵の具チューブとパレットに興味があるようなので、そろそろ子供用にチューブ絵の具を買って好きに遊ばせてみようかしら。