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123. なぜ海外に「かぶれる」のか?|Stay Home編⑧

bonjour!🇫🇷 毎週金曜日更新のフランス滞在記をお届けします。Stay Home編ではコロナ禍のフランスから帰国し、自主的に14日間の自宅待機中に感じたことを綴っています。今号は、「海外かぶれ」について徒然書いてみようと思います。


2020年3月。
コロナ禍でフランスから日本に帰国してからというものの、わたしはあらゆることが不安だった。ざるのような空港での検疫から公共交通機関へとすり抜けていく人たち、桜の下に群がる人々、何をどうしようとしているのかわからない国のコロナ対策。なぜ?なぜ?世界が今こんなに大変な状況なのに、なぜこの日本って国はこんなにのんびりと悠長なことをやっているのだろう・・!!という怒りにも似た思いを胸を抱えながら、わたしはSNSでStay Homeを訴え、自主的に14日間の自宅待機に入っていた。

時が立って2023年。
海外から一足遅れてマスクの着用が個人の判断に委ねられるようになった今、「マスクが怖くて取れない」というニュースを見て、「あぁこれが日本ってもんだよな」という思いが湧いてくると同時に懐かしいなと思った。あぁこれって2020年に帰国した時に感じたことと同じだ、と。

端的に表現するなら、あの頃からわたしは「海外かぶれ」しているのだ。フランスに経つ前から、「海外生活を経験して日本に帰ってきた時に、日本の日常が急に色褪せて見えて、批判が強くなったりするから気をつけたほうがいい」と言われていて、何年も生活するわけじゃなし、たった数ヶ月の滞在経験でそんな風になるものかな、と思いつつ気にしていた。でも、日本帰国後の自分の状況を振り返りこうして書き綴っていると「あぁ、例に漏れず、わたしもしっかり海外にかぶれて帰ってきたんだな」と実感した。

とりあえず、なんでも「フランスやヨーロッパの事例と比較して考える」という思考回路が作られていて、その差異の中で日本の姿を見ようとしてしまうのだ。


日本で住んでいるとき、「私は日本人だ」というアイデンティティは透明になっている。

最近、KENSAKU SEKIさんの「海外から帰国した人がかかる落とし穴」というブログ記事で紹介されている、この一文にハッとした。


日本に生まれ、日本で生きてきたわたしには「日本人である」ということは意識されない。無色透明なアイデンティティだった。けれど、一度外に出て比較対象が生まれることによってはじめて、「わたしは日本人なんだ」という輪郭線が迫ってきた。今までぼんやりと視界に映っていたものが、急にはっきりと見えるメガネをかけたみたいに色と形を持って感じられるのでとてもびっくりしている。・・きっと海外にかぶれるってそういうことなんじゃないだろうか。もっというと、海外にかぶれるっていうのは、帰国したり、その後母国との繋がりをもつことで初めて発動されるものなのかなと思う。

そもそも、かぶれるってなんだろう?と考えてみると、正式な医学用語では「接触性皮膚炎」という。

何らかの物質が皮膚に接触することで起こる皮膚炎のことです。
原因物質に接触した部分の皮膚に一致して、かゆみ、赤み、小さな水ぶくれなどの症状が現れます。

第一三共ヘルスケア

つまり、海外の話ばかりになる、日本を批判しがちになる、などもろもろの「症状」は海外にかぶれて水膨れや赤みができている状態なのだろう。面白いのは、東洋医学ではかぶれを熱や湿が溜まっている状態を見直して、火消しのための漢方薬が処方される。

きっと、この滞在期記を書くというのも、ある種の火消し、なのだろう。けれど、接触したという記憶は決して消えない。滞在記も後半になり、最近は火傷のような過剰な反応はしずまり、段々と新しい皮膚が作り変えられていくのを感じている。それがきっと、よく言われる「あの時の経験が生きている」ということなのだろうなぁ。

経験が生きるにはきっと、時間がかかるし、時間に勝る薬はないのだろう。

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