20セルシオ前期 C仕様 試乗記
私はバブル時代というものが好きだ。これは聞いた話でしかないが、当時の日本は国家的にも個人レベルでも財政的に非常に勢いがあり、物質主義的でみな活気にあふれて日々の生活を送っていたそうではないか。私もハイレグギャルに金を積んだり、セリカでスキーに行って2輪駆動の友人の車がスタックしたところを小馬鹿にしたいものであった。このような時代、みなが興味を持ったものの一つに車がある。男たちは3食カップラーメンを啜ってでもカッコいい車を買い、女たちは車で男を判断していたそうじゃないか。この時期には、シーマ、セルシオ、ロードスター、レガシィ、ソアラ、ユーノスコスモ等などたくさんの車種が登場した。その一部は名車のとなり後継モデルがいまだに販売され、残ったほとんどは迷車と化して廃車となったり、中古車市場でスーパーのモヤシ並みの値札を貼られた後、徐々に希少価値が生まれてオタクに乗り回されることとなっている次第である。
ところで、私の大学は地方大学なので学生の自動車保有率が比較的高い。そこで、私が大学近辺のコンビニで周囲を観察していると、薄汚れた型落ちのムーヴがNAの軽特有の3気筒ブン回しサウンドを轟かせながら入ってくる。音の割に1秒間に3センチしか進んでいない。私は自分の車と見比べて優越感に浸る。そして10年の月日をかけてなんとかムーヴが駐車場に停車すると、なんと中からは男とその彼女が出てくるではないか!!!こんなことはあってはならないはずだ。なぜムーヴより乗り心地が良くてお洒落な外車と、スタイリッシュで高性能なスポーツカーを所有している私が助手席の荷物置きの広大さに困っている中、中途半端なNAの軽なんかに乗っている男に女が群がるのか!!俺は身を削って体重を5キロ落としながら車を維持しているというのに!!!これが2021年の現実である。
先日、私は1995年式のトヨタ セルシオを運転する機会に恵まれた。この車は20前期という型にあたるもので、要はセルシオの2代目モデルである。この車は巷にありがちなボディをアスファルトに擦り付けながらEDMを垂れ流しているような個体ではなく、シートにレースがかかっている以外はフルノーマルといった個体である。友人のおじいさんが乗っていたというのだから納得がいく。当然、当時トヨタが本気で作りこんだだけあって、25年落ちの車なのにそのへんの現在の300万クラスの車よりよっぽど乗り心地がいい。普段は気配をひそめている4リッターV8は、合流などで踏み込むと穏やかに吼え始め、気づくと想像以上のスピードが出ていて減速しなくてはいけないほどだ。これは高速巡行が楽なわけだ。走行安定性自体も悪くはない。ドイツ車基準からすると甘いのかもしれないが、日本で下道メインで乗るには十分すぎる。エアサスは、減衰が甘めで大きな凹凸では車自体がワンテンポ遅れて動くような感触があるのは確かだが、私は車のキャラにマッチした感じがして嫌いではない。
その友人が東京駅の丸の内駅舎前で車の写真を撮りたいというので、そこに向かって車を走らせる。下道でも四隅のわかる角ばったボディと大きな切れ角のおかげで思いのほか大きさを意識せずに運転できる。アクセル、ブレーキ、ステアリングの操作感に違和感はない。手足を動かした量に比例して車が動きを変えてくれる。とても自然。そのおかげか、初めての都内の下道であったにも関わらず、リラックスして運転することができた。
そんな感じで我々は東京駅に着くと、空いているロータリーに車を停め、少しばかり写真を撮らせてもらうことにした。そして写真を撮るために車を降りて外から車を眺めると、私はセルシオではなくてデロリアンに乗り込んできてしまったのかと思った。セルシオがとんでもなくその風景になじんでいたのである。周囲の光輝く丸の内のビル群とライトアップされた駅舎をバックに、セルシオは古き良き活気ある日本のオーラをまとっていた。私は自分が生きていない80年代後半から90年代初頭を思い出し、どこか懐かしくなった。その空間にはポルシェの991GT3などもいたのだが、そんなことは本当にどうでもよかった。むしろ邪魔だった。その空間にもっともなじんでいたのはどう考えても黄緑色のシュツットガルト産の毒ガエルではなくセルシオだ。その時間、その空間だけ、日本が活気を取り戻したのではないかという錯覚に見舞われたのだった。
とはいえ、一部気づいた人もいるかもしれないが、この車が発売されたのは1994年のことで、すでにバブルは崩壊している。でも、そんなことなどどうでもいいのである。この車は10セルシオからのコストカットが指摘された20セルシオなのだ。でも、そんなことはどうでもいいのである。エモいから。実際、20セルシオ前期と10セルシオが見分けられる人などほとんどいないし、さらに20セルシオがバブル崩壊後の車だとわかる人はさらに絞られるからいいのである。
でもやはり、セルシオは確かに日本的な車だと思う。それは設計思想が日本のオヤジセダンとしての究極だからというだけではなく、当時のゲルマン系ライバルと比較したとき、ゲルマン車は悪趣味な暖炉のようにどこか武骨であるのに対し、セルシオは2トーンカラーの色彩や内外装の縁の造形の細やかさなどに、日本的な美的感覚を感じざるを得ない。
といったわけで、私は20セルシオの持つ性能、そして何より雰囲気の虜になってしまったようだ。最後に、いつかまた日本が活気あふれる国になれるように切に願うと同時に、これからの日本を背負う若者としての覚悟をもって日々生活していこうと思う、と記して今回の締めとする。
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