「自分が正しいvs相手が正しい」から脱して感じた心地よい習慣
真面目で完璧主義な性格に悩んでいた
「真面目で完璧主義」と聞くとどんな人を思い浮かべますか?
実はわたし、会社でそう評されることがあるんです。
でも育児だったり、自分の趣味などプライベートの私を知る方にとっての印象は正反対かもしれません。
いい所取りして楽する事もあるし、手抜きや息抜き・気分転換をしながらご機嫌に過ごしています。
どちらが本当の鈴木なのかと言うと、どちらの面もあわせ持っているようです。
私が「真面目で完璧主義」の一面を仕事で見せているのは、きっと会社員としての歴史や想いが詰まっているんですよね。
きっとみなさんもお仕事で、プライベートで周囲の人が感じるみなさんらしさには、それぞれ経験・歴史や想いが反映されているはずです。
でもその想いが強いほど、時としてモチベーション維持の障害になったり、チームメンバーとのコミュニケーションミスが生まれたりすることも。
この事に20代の頃の私は悩み続けていました。
完璧主義ゆえに任されたことや役割は何がなんでもやり通す。(いい意味でも、悪い意味でも)
けれどもちろん、そうじゃない人だっているのだから、すれ違いができてしまう。
そんな時の問題解決の手段は
「私の当たり前を誰かに押し付ける」
もしくは
「誰かの主張に合わせて自分を曲げる」となりがちでした。
その頃の私に伝えたい
その頃の私に伝えたいこと。それは…
相手が正しいか 自分が正しいのかではない
「それ以外の選択肢」があるんだよということ!
それは言いかえると
「あなたも正しいし、私も正しい。
どちらも正解だっていいよね!」
というスタンスをとること。
誰しも、頭ごなしに否定を感じたり、すでに結論は決まっているのだろうと感じたりすると、気持ちがスーッと冷める経験ってありませんか?
そう言う考えあるよね!
その視点、私になかった!
議論はそこからスタートです。
心地よい習慣と副産物
そんなコミュニケーションを意識するようになって、毎日がより楽しく温かい人間関係で働けるようになったのはもちろんですが、思わぬ副産物が。
それは、私の選択肢の幅がぐっと広がったこと。
何かに迷ったとき、
◯◯さん流に考えるなら…とか
違う視点で見てみると…とか
多方向から考える習慣がつきました。
選択肢の広さは生きる世界の広さ…かも。(願望も込めて)
自分の強みも弱みも大切にできるコミュニケーションをより広めていこう、そう密かに思っています。