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妬み社会の末路

嫉妬や妬みと羨望や羨みとはどう違うのでしょう?

英語でも、jealousyとenvyでは微妙に違いがあるけれど、この二語は必ずしも日本語の「嫉妬」や「妬み」のように否定的な含みだけで使われるわけではない。
実際、英語ネイティブな知人たちから、”I'm jealous.”とか “I envy you.” などと言われても、単に「いいなぁ」とか「羨ましいなぁ」いう意味に過ぎなかったりする。(後者の方が強い感じはある。)

このことから分かるように、日本語の嫉妬や妬みというのはひたすら陰湿な感情を表す言葉で、羨望とか羨みという言葉とは一線を画している。嫉妬や妬みは、相手を引きずり下ろそうとする心理で、羨望や羨みと言うのは、あんな風になれたらいいな的な上昇志向というのが大きな違いかな。

で、日本の権威社会とか利権社会ではひたすら嫉妬や妬みが横行していて、そのことがその小社会の質を劣化させるモーメントになってる。
例えばかつては名門といわれた大学でも、教授によって後継者が決められる制度を踏襲しているところでは、確実に質が低下してゆくという法則がある。なぜなら、教授が妬むほど優秀な研究者は後継者に選ばれないから。(ハーバードなんかではこの弊害を恐れて卒業生を教授にしない制度だったけど、今はどうなんだろう?)

また財界でも、ほんとに優秀な人材がトップに立つということは、まぁ稀なことをみたいで、特に まだ社内での地位がそれほど高くないうちに世間で取り沙汰されるような活躍をしている人たちは、まずトップに選ばれるのは不可能だというのが公然の秘密になっているとか。

それと、アートや文芸の世界でも、どう考えても新人賞とか何とか賞っていうものの選考の基準がおかしいよね。
なんでわざわざあんな程度のものを選ぶかな?とかね。
それもやっぱり既存の権威者たちが、自分たちを超えるようなすごい新人が出てくるのが妬ましいっていうところが大きいんじゃないかな。実際のところ、影が薄くなるのは目に見えてるし。

問題は、そういう組織全体が劣化していくことで、面白くもなんともない、あってもなくてもいい存在になっちゃうってことだろうね。
もちろん、妬み深い権威者や利権者自身も、尊敬されなくなるどころか、むしろ無視されたり軽蔑されたりするようになるだけだし。

日本のコンプレックス社会、妬みと嫉妬の世界、一体どうやったら変えていけるんだろうね。
優越感を持ちたくて苦労して入った「名門」組織を自分たちの妬み根性で落ちぶれさせて、どうする?みたいな。w

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