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All Things Must Passに参加したフィル・コリンズと、30年後のジョージ・ハリスンのイタズラ



1970年、幻のセッション

1970年5月のある日の夜、ロンドンの自宅にいた19歳のフィル・コリンズが、風呂上がりにテレビのスイッチを入れたときのことです。その日家族は全員外出しており、フィルがひとりで留守番していたのでした。そこに1本の電話がかかってきます。電話の声は、アラン・ブレイクリー(Alan Blaikleyです。アランは、フィルが参加したバンド、フレイミング・ユースが前年10月にリリースしたアルバム Ark 2 の作曲者の一人です。

「やあ、今何してるんだい?」

と明るく言われても、何か鼻白むものがあります。アランのおかげでレコードデビューできたのはいいのですが、とにかくアルバムは全く売れず、反応が無い状態で、デビュー即失業みたいな状態になっているわけです。フィルは気のない返事をします。

「今、トップ・オブ・ポップス見てたんですよ…」

つけっぱなしだったテレビでは、ウィークリーチャートのバンドがシングルのプロモーションをしている最中でした。
すると、電話口のアランは、信じられないようなことを言うのです。

「そんなことより、アビーロードのセッションに行きたくないか?」

一瞬言われている意味が分からなくなるほどの衝撃的な誘いでした。もちろん断る理由なんてありません。あのアビーロードスタジオでのセッションに参加できるなんて、夢みたいな誘いです。フィルはさっきとは全く異なるトーンで元気よく返事をするのです。

「す、すぐ行きます!」

「わかった。アビーロードスタジオに行ったら、マーチンという奴が入口で待ってるから、そいつに話して」

と言われ、あわてて支度をして、自宅からアビーロードスタジオまでタクシーを飛ばすのです。そういえば、誰がセッションしているのかを聞くのを忘れたのですが、あのアビーロードスタジオでセッションしてるくらいだから、それなりのミュージシャンに違いないと、フィルは高まる気持ちをおさえながら、スタジオに向かったのでした。

アビーロードに着くと、言われたとおり、マーチンがフィルを待っていました。実はこの男、リンゴ・スターの運転手なのです。そして、電話をかけてきたアラン・ブレイクリーはマーチンの個人的な友人で、マーチンから「誰かいいパーカッショニストいない?」と聞かれてフィルを紹介したのでした。

でもそんなことも全く知らされていないフィルに向かってマーチンは言ったのです。

「あんたがパーカッショニストかい? よくきたな」

「あいつら、4週間もここでやってて、もう1000ポンドも使ったのに、まだ何にも録音できてないんだよ...」

初対面のマーチンからいきなりそう言われて、フィルは唖然とします。アビーロードスタジオを4週間も抑えて、しかもまだ何も録音が進んでないとは、一体どんな大物なんだと….

そのままマーチンに着いていくと、フィルはアビーロードの第2スタジオに通されました。そこで驚愕の光景を目にするのです。

ちょうど第2スタジオはフォトセッションの最中でした。スタジオの扉から入ると、背を向けたカメラマンの向こうに、中の全員がフィルの方を向いて整列しているのです。そしてそこにいたのは…

  • ジョージ・ハリスン

  • リンゴ・スター

  • ビリー・プレストン

  • フィル・スペクター

  • マル・エヴァンズ(ビートルズのロードマネージャー)

  • クラウス・ヴォーマン

  • ピーター・ドレイク

  • バッドフィンガーのメンバー数名

だったのです。後ろでマーチンが、

「おーい、パーカッショニストが来たぞ」

とか言ってるのですが、この光景に釘付けになってしまったフィルにはほとんど聞こえていませんでした。ちなみにこのとき、直前までエリック・クラプトンもいたのですが、そのことをフィルが知るのはだいぶ後になってからのことでした。

フィルは以前子役時代に、ビートルズの映画ハード・デイズ・ナイトの撮影現場でビートルズのメンバーを見たことはあったのです。でもそのときは、ステージ上のビートルズを客席から見るエキストラでした(*1)。 今度は同じスタジオで、ミュージシャンのひとりとしてこれからジョージ・ハリスンとセッションをするわけです。思わず、フィルは足が震えてきたのです。

茫然と立ちすくむフィルに、何とジョージ・ハリスンが声をかけてくれるのです。

「悪いな、あんたは写真に写るほど長くここにはいないんだよ」

これにフィルは、緊張のあまり笑ってごまかす以外のことはできなかったのでした。

そしてフォトセッションは程なく終わり、全員がそれぞれのポジションに戻りはじめます。フィルはコントロールルームに通され、フィル・スペクターに挨拶と自己紹介をするのですが、彼はほとんど無反応でした。そうこうしているうちに、次はあのビートルズの伝説のローディー、マル・エヴァンズに、声をかけられます。

「お前のコンガはここに置くぞ」

こうしてフィルは、リンゴ・スターのドラムと、ビリー・プレストンのエレピの間に立つことになったのです。

とにかく緊張をなんとかほぐさなければと思ったフィルは、急にタバコがすいたくなります。フィルはこの日、あわてて自分のタバコを持ってくるのを忘れていました。そもそも、その程度のライトスモーカーだったのですが、この状況にいても立ってもいられず、緊張のあまり急にタバコが欲しくなったのでした。そこで、隣にいたビリー・プレストンに無心したところ快く1本恵んでもらうことができたのです。

ところが、スタジオ内ではそれ以外だれもフィルに声などかけてくれません。それどころか、これから演奏する曲のブリーフィングもなければ、楽譜を見せてくれるようなこともありません。なにもかもよくわからないまま、突然、“One, two, three, four !” という誰かのカウントダウンで、いきなりセッションがスタートしてしまったのです。

とりあえずコンガの前に立ってるわけで、この状況ならとにかくコンガを叩かねばなりません。フィルは、とにかく無我夢中、必死で演奏にくいつきながらコンガを叩きます。これが1時間くらい続くのです。ところが、当然のように緊張のあまり、オーバープレイになるのです。その結果、すぐにフィルの両手は真っ赤に腫れ上がり、水ぶくれのようになってしまったのでした。

この間、ビリー・プレストンだけでなく、何とリンゴ・スターからもタバコをもらい、4〜5本すったところで、ビリー・プレストンから、

「クソガキ、タバコくらい買いやがれ」

と怒られるというおまけ付きです。それでも何とか1時間のセッションを終えて、自分の腫れ上がった手を眺めていたところで、フィル・スペクターが耳を疑うような発言をします。

「OKみんな、まあいいかな。おい、コンガ、次は演奏入れるか?」

これまで手が腫れ上がるほど必死にコンガを叩いていたのに、何とフィル・スペクターは全く自分のことを認識していなかったのです。

さすがにこれには頭に来たフィルでしたが、天下のフィル・スペクターに口答えすることもできず、とりあえず両隣のリンゴ・スターとビリー・プレストンが笑っているのを確認して、「少なくとも2人は聞いていてくれた」ということが分かったので、グッとこらえて「OK」と返事をしたのでした。

そして、その後コンガ入りの演奏を数テイク行ったところで、その日のセッションは終了したのです。

そしてフィルは、いても立ってもいられず、興奮状態のままスタジオを出て外の公衆電話に走ります。そこで電話したのは、当時付き合っていた彼女の家でした。ひとしきり今目の前で起きたことを彼女に自慢してスタジオに戻ると、そこはもうもぬけの殻でした。その日はレセプションが用意されていて、みんなそこに移動したようなのです。結局、最後だれに挨拶することもなく、フィルはひとりでスタジオを後にしたのでした。

数週間後、自宅にEMIから15£の小切手が郵送されてきました。今回の仕事はきちんとギャラも支払われたのです。ついに、ジョージ・ハリスンのアルバムに自分のコンガが刻まれて販売される日が来るのです。

このときのアルバムは、All Things Must Pass。3枚組という当時まだあまり例がないアルバムで、フィルには高価だったのですが、EMIからもらったギャラを使えば問題ありません。この時期の15£は、フィルにとっては使いでのある金だったのです。そして、フィルは近所のレコード屋でアルバムを予約して、発売日を楽しみにするのです。(このときの小切手は記念にとっておけばよかったとフィルが後悔したのは、何十年も後になってからのことでした)

待ちに待った発売日、レコード屋でアルバムを受け取って足早に自宅に戻ったフィルは、まずジャケットをひらき、クレジットを確認します。ところが、どこを探しても自分の名前が見当たらないのです。これにはがっかりしました。そしてあの曲を聴いて、さらに驚くのです。

「あのときと全く違うテイクだ、これは…」

曲には、Art of Dying という題名が付けられていましたが、結局あのときのテイクは使われなかったどころか、別の曲と思えるほどアレンジが変わっていたのでした。クレジットがないのも当然だったわけです。

*1:フィル・コリンズが映っているシーンはすべて編集段階でカットされ、映画にフィルは映っていない。

ジョージ・ハリスンとの再会

そして、アビーロードスタジオでのセッションから12年が経過した、1982年のことです。フィル・コリンズは、ジェネシスのフロントマンとして、またソロアーチストとして八面六臂の活躍をしていました。特に、1981年にリリースしたソロアルバム Face Value の大ヒットで、一躍トップスターに上り詰めた直後のことです。

ちょうど、ジェネシスのスタジオThe Farmが出来たばかりの時期で、フィルはそのスタジオで、元プロコルハルム、あの大ヒット曲「青い影」の作者であるゲイリー・ブルッカーのソロアルバムのレコーディングに参加していたのです。実は、ゲイリー・ブルッカーも All Things Must Pass のレコーディングセッションにピアノとして参加したことがあるのですが、やはりブルッカーのパートは全部ボツになったという同じような経験をしていたのでした。

ブルッカーは当時エリック・クラプトンバンドのキーボードとして参加しており、その縁でジョージ・ハリスンともコンタクトがあったのです。そこで、ブルッカーのソロアルバムに、ジョージ・ハリスンが客演することになり、ジョージが The Farmにやって来ることになったのです。まさに、フィルにとっては12年ぶりのジョージ・ハリスンとの再会となったのです。

このときのゲイリー・ブルッカーのアルバムは、Lead Me to the Water 。 冒頭曲のMineral Manでジョージ・ハリスンとフィル・コリンズが共演しています。プロデュースはブルッカーが自ら手がけており、フィルは関わっていません。

そして、The Farmで、待望のジョージ・ハリスンとの再会です。当然話は12年前のあの夜のセッションのことに触れるわけです。ところが….

「本当なのかい、フィル? いやあ、全く覚えてないんだけど….」

とジョージは言うのでした。あのフィル・スペクターとのセッションの場に、どこかから呼ばれてきた無名のコンガ奏者がいたなんてことは、微塵もジョージの記憶には残っていなかったのでした。

これにはフィルも落胆したのですが、ジョージ・ハリスン本人が何も覚えていなければ、それで終わりだったはずなのです。ところが…


デモテープの発見!?

そして、さらに時は流れ、あのセッションから30年、ジョージ・ハリスンとの再会からさらに18年もの年月が流れた、2000年のある日のことです。ドイツのホッケンハイムにいたフィルに、ある音楽ジャーナリストが声をかけてきたのです。

「フィル、あなたは All Things Must Pass に参加してますよね?」

「ああ、そうなんだが、何も残ってないし、アルバムにもクレジットされてないけどね」

「ジョージがAll Things Must Passのリミックス作業をしてることを知ってますか? 30周年記念のリイシューのためなんです」

そして、最後にこう付け加えたのです。

「ジョージは当時のマスターテープを全部チェックしているはずです。わたしはジョージのことはよく知ってるので、あなたのセッションが見つかったかどうか聞いてみますよ」

こうして音楽ジャーナリストと別れた、そのわずか数週間後に、フィルの自宅になんとジョージ・ハリスン本人から1本のテープが届くのです。中にはジョージ直筆の手紙が入っていました

「親愛なるフィルへ これはあなたでしょうか? 愛を込めて、ジョージ」

なんと、あのセッションのテープが見つかったらしいのです。これには本当に驚いて、フィルはそのカセットテープを再生するのです。ところが、スピーカーから流れてきた演奏を聞いた途端絶句しました。

「こりゃひどい。何だこれは!」

とにかく今の自分の耳には、信じられない、まるで「不整脈」のようなコンガのリズムなのです。そして、さらにトドメに、テープからジョージ・ハリスンの声が聞こえてくるのです。

「フィル(スペクター)、フィル? もう一回、コンガ抜きでやってみないか?」

もうこれ以上耐えられません。フィルは、30年前のセッションで、見事に不細工なコンガをたたいて、ジョージ本人から外されていたという決定的な証拠のテープが発見されてしまったのです。これには落ち込みました。ボツになったとはいえ、自分としてはあのとき精一杯やりきった気持ちは持っていたのです。それなのに、実際はこんなにも酷い演奏をしていたのか….。これではボツになるのも当然ですが、そのボツを決めたのはほぼ、ジョージ・ハリスン本人で間違いない感じなのです。

落ち込んだのもつかの間、その数日後に、今度は元F1レーサーのジャッキー・スチュアートから電話がかかってきます。フィルは、80年代からジャッキーとは親交があり、スイスに移住する際、ジャッキー・スチュアートが保有していた家を購入しており、そのこともあってジャッキーとは頻繁に連絡をとる仲でした。

「やあフィル、元気かい? 今夜ジョン・レノンのトリビュート・コンサートがロイヤル・アルバートホールであってね、君にも会えるかと思ってたんだけど」

「あぁ、僕は今日は参加できなかったんです」

「残念だね。素晴らしいドラムプレイヤーがいっぱいいたよ」

「そうでしょうね」

「あと、素晴らしいコンガプレイヤーもいたんだ」

え、ジャッキーは何を言っているのでしょう? 「コンガプレイヤー?」いったい、なんでそんなことを言うのだろうと不審に思った直後、ジャッキーはこう続けたのでした

「君に話があるって言う友達が来ているよ、ちょっと代わる」

「やあフィル、テープを手に入れたかい?」

電話に出たのは、何とジョージ・ハリスンです。これには参りました。とにかくあの酷い演奏を聴いて打ちのめされた直後なのです。

「あ、あの、あの夜…、何が起こったのか、なぜ僕が All Things Must Pass をクビになったのか、30年間自分なりに考えてきたんです。そして今、自分があまりに不甲斐ないことをしたから、あなたとフィル・クソ・スペクターが僕を切ったのだと悟りました…」

やっとのことで絞り出すと、電話口のジョージが爆笑するのです。

「いやいや違うんだよ !  テープはね、こないだ作ったばかりのものなんだよ」

「ちょうどレイ・クーパーがアルバムのリミックスを手伝ってくれていてね。Art of Dying でひどいコンガ演奏するように言って、君だけのための特別なテイクを録音してみたんだ!」

何と、あのテープは、ジョージ・ハリスンのイタズラだというのです。それにしても、なんと手の込んだイタズラなのでしょう。恐らく、ホッケンハイムで声をかけてきたあのジャーナリストもグルだったに違いないのです。


こうして、発売されたAll Things Must Passの30周年記念リマスター盤。結局フィル・コリンズのコンガのテープは発見されなかったので、当然その音源は収録されておらず、アルバムにもフィルの名前はクレジットされていませんでした。でも、今回は、ジョージ・ハリスン本人のコメントによるライナーノーツがついていたのでした。

In the booklet accompanying that thirtieth-anniversary edition, released in March 2001, seven months before he died, there are new sleeve notes written by George himself. And there I am, finally: “I don’t remember it, but apparently a teenage Phil Collins was there...”
2001年3月に発売された30周年記念盤のブックレットには、彼が亡くなる7カ月前にジョージ自身が書き下ろしたスリーブノートが掲載されている。そこに、ついに僕が登場する。「私は覚えていないが、10代のフィル・コリンズがそこにいたらしい...」

Not Dead Yet / Phil Collins

そして、フィル・コリンズはいいます。あのテープは僕の宝物だと。

I still have that comedy congas tape. It’s one of my treasures. Here's to you, George—you lovely bastard.
あのお笑いコンガのテープは今でも持っています。僕の宝物の一つです。ジョージ ー あなたに乾杯。

Not Dead Yet / Phil Collins

以下の資料を参考に一部脚色のうえ構成したものです。


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