自分で動くことでしか味のある学びは得られない


こんばんは。Ramです。

今日は「自分で動くことでしか味のある学びは得られない」という話をしたいと思います。

今や言うまでもなく情報化社会
学びは簡単にできます

ありとあらゆる書籍、youtubeなど
調べるといくらでも情報が手に入りますし、

AIなどのテクノロジーの進化も合間って、
何かを調べるとそれに関連したものがいろいろな場所で目につくようにも設計されています。

いつでもどこでも、好きなように学び
知識を得る事ができる環境であると思います。

ところで、
みなさんも人生で叶えたいことの
一つや二つあるのではないでしょうか?

例えば、
何か新しいことに挑戦したい、
お金を稼ぎたい、
有名な人になりたい、
モテたい、

人それぞれ、色々あると思います。

そう思ったら、そうなれるような方法を知りたい。
だから、

「それを叶えた人の話を聞きたい」
「どうやれば上手くいくのかを知りたい」

こんなふうに思いませんか?

「こう言うふうにやれば上手くいくのか」
「これさえやればいいんだな」

なんだか知識を得て「できるような気がしてくる」気がします。

いくらでも転がってるノウハウ

では、知識を得たら本当に理想通りに
なれるのでしょうか?

答えは言わずもがな「NO」ですよね。

ではなぜ、情報や知識を入れてもそうなれないのかというと、

「実際に動いたことがなく、その経験に基づく腑に落とすプロセスが一才ない」

からです。

頭はわかったフリをして、わかっていない
と言うことになります。

勿論、本を書いたり情報を発信されている方は、ホラ吹きでなければ体験を元に得たことを語っています。

ですが、あなたはその語りに到達するまでのプロセスを踏んでいない。

言葉だけが浮き出ては、身にはなっていないのです。

頭でっかち(知識ばかりで行動が伴わない)
ということです。

味のある学びは動きがセット

誰かの言っている知識には、腑に落とすまでの目に見えないプロセスがあり、それがなければ知識は役に立ちません。

つまり、自分が動いて実験して場数を踏むことが何よりの学びということになります。

誰かの言っている知識を得るだけで
できた気分を味わう、では終わらず

身になるようトライアンドエラーの数が
膨大に必要です。

この人の話を聞きたいと思う人を想像してください。
その人はどんなプロセスを通って、その知識を得たのでしょうか?

その言葉の深みはプロセスにあると言えます。

そしてプロセスに意識を向けると
自然と「他人と比較する」の無意味さ、
「比べるのは前の自分でいい」ということも併せて腑に落ちてくるのではないかと思います。

以上で終わります。
最後までご覧いただきありがとうございました♪

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