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皇の時代の羅針盤 その三十九
月刊プレジデントイーグル
Vol.39 1996.09.06
人間心理の戦略を持たぬ
経営者は会社を潰す?
政治も経済も混沌とした時代ですが、世界を救うのは日本であるということを知っていますか。それは日本の技術は世界最高ですから最高の商品を作っています。この最高の商品は最高の部品で作られている訳です。
この最高の部品が世界中が欲しいものなのです。これが今一番輸出されているのです。韓国の自動車のエンジンは三菱自動車のエンジンが輸出されています。
キャノンのジェットプリンタのノズルは特許で円高に関係なく輸出されています。このように優れたものはどこの国でも欲しいのです。消費財である商品から、資本財となる部品がこれからの輸出品となっていくと思います。
このほかには、技術、ノウハウ、が輸出されるでしょう。今では当たり前になっていますが海水を真水にする技術。砂漠を蘇らせる技術。植林の技術。農業技術。工業技術。経営方法。
これらの素晴らしいものが世界中に広がっていったら、世界の人口を賄える食料、住宅、輸送、環境ができると思います。日本の工業技街、農業技術を途上国に輸出して、世界が一つになり、人類が皆豊かになり、平和で暮らせる環境に早くなることを期待しています。
人類は文明を発展させて来ています。それを考えると必ずよい方向へと向かって行くと考えられます。そして、そのキーポイントは日本であると言えます。それは明治以来今日までに幾多の困難を乗り越えて来ているからです。
《禅の悟りとは、十牛図を知り悟ることから》
無知の知と言う言葉がありますが、禅のことを知らずして禅を語ることはできません。言葉として知っていても禅が何であるかは、知りえませんでした。知ろうともしなかったと言った方が早いでしょう。
何故かというと、座禅をすることが禅だと思っていたからです。問答もよく分かりませんでした。食わず嫌いとでも言いましょうか。旨くないと思っていたものを食べてみて旨かったときの様ですが、禅の大筋を知ってそのすばらしさを感じました。
今までなんで、それに気が付かなかったのか不思議なくらいです。ただ禅は知らなくとも禅の本質を体験的に求めていたことは分かりました。
まず始めに、十牛図です。これは、禅の悟りの過程を図で表しています。詳しくは、禅の書物を勉強してください。ここでは、感じたことを話します。悟りの段階が十段階あり、その中で驚いたことは、孔子のレベルでも六段階程度であるということです。
儒教の元になった孔子でさえ悟りのレベルにおいてその程度であるとすれば、悟ったときのレベルは想像が付かない程すばらしいと感じました。臨済禅師、道元禅飾、白隠禅師の悟りとは計り知れないものを感じます。
十牛図を見ながら、不思議とそれが何であるか分かるような気がします。また、目標ができたような気も致します。できれば最後の悟りまで行きたいものです。また自分が浅いこともよく分かります。
経営者や政治家がよく禅寺へ行くこともこれで分かったような気が致します。禅には、必要なものがあるからなのです。悟りの段階を知ることにより人を理解することができ、人についての思いやりも生まれることが分かります。また、厳しさも分かります。
さらに、般若心経の言わんとすることも、感じます。分かる人、分からない人がいることを素直に認めることができます。これが分かれば、何をしたらよいかが分かります。
花鳥風月が分かれば、無も分かるでしょう。無が分かれば、有も分かるでしょう。一切無一物これが禅の悟りの境地だそうです。聖徳太子は一切皆空と表現しています。元々この世には何もない、目に映り、耳で聞き、ロで食べ、鼻で感じ、体で触れる事も皆一瞬のことで止まることはないことです。
止まることがないものは無いのです。あるのは時の流れと悟りの境地です。無いからこそ生成化育進歩発展が必要なのです。
今ここで、再び人が人間として生まれ変わるという言葉を思い出しています。これは今から二十ニ年前に聞いたことですが、いまだに忘れることができない言葉です。が、今ようやく分かるような気が致します。
このことを旨く話せるようになったときが、一つの悟りだと思います。
目、耳、鼻、ロ、体は、(無)眼、耳、鼻、舌、身です。これは体の五感のことです。次に、(無)色、聲、香、味、觸は五感が感じるものです。これらは皆空であるということです。
生ずる事なく、滅する事なく、汚れも清浄もない、増えもせず、減りもせず、これすベて空である。色でなければ空でもない。空でなければ色でない。色すなわち空である。
空すなわち色である。ただ単に見れば、これだけのことですが、色でも空でもないが色であり空であること、すなわち何もない。
何もないこともない。何もないから、受・想・行・識もない。これは、五感から生ずる想念のことです。
初めも終わりもないことかも?知れませんね。どこまで、悟れるか精進努力を続けて行きたいものです。これは、大変難しいことです。難しいことですが、分かれば簡単なのではないかと思います。
追記1
これを書いたころから、未来予測をしていたように思える。
FT合成 エネオス
実現できることは実現できる。
日本人は、こう言うことにお金をかけないから、遅れてしまう。
ダイアモンドも、人口のほうが半導体には良いという事実もある。
つづく