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安曇野いろ「旅する詩人」

『数学者の朝』 キム・ソヨン

詩の感想などは、なかなか書けるものじゃない。
まるごと受け止めて浸る。ただそれだけ。
姜信子さんの訳が秀逸。
『数学者の朝』からソヨンの詩をいくつか。

<旅人>
ひとの住まぬ地へと向かった者がいた
生きがたい場所であろうとも そこに生きた者がいた
家を建て 窓をつけ 鳩を育てた者がいた

その窓から私はいま外を眺めている
これほどに難解な地形を もっとも易く理解した者が
もっとも長く立っていたであろう場所に立ひと

宇宙のどこか
人が生きられぬ星で詩を書くものもいるだろう
家畜を屠殺して肉を焼いて暮らすように 泰然と

お元気ですか、ありがとうございます、さようなら
知る言葉のほとんどない見知らぬ土地で
私が感じとることができるのは束の間の出会いの喜びと
つきまとって離れない恐怖だけ

恐怖に集中するうちにやがて
支配しうるすべてのものを支配することを望んだ者は
実は自分の疲弊をほかの言葉に置き換えようとしていたということに
ハエのようにやたらと顔をのぞかせる楽観を追い払いつつ
私は気づく

苦しいんです、生きたいんです、風邪薬が必要なんです、
生きるがために汚れる者に私はなることにする
汚れたまま眠る足と
汚れたまま握手をする手だけに
寄り添う者になることにする

にもかかわらず そこに生きた者が
にもかかわらず 生きがたくなっていった地を遺跡地と呼ぶ
巨大な石像に表情を刻みつけた奴隷たちは
なにごとかを知っていても知っているとは言わなかった

その誰をも
嘲ることのない者として生きることにする
危ないよ、気をつけて、大丈夫、
一日にただ一つだけ 慰め労わる者になることにする

誰ひとり生きのこることのない地に生きる者がいる
生きがたい場所であろうとも そこで生きぬく者がいる
家を建て 窓をつけ 青葡萄を育てる者がいる

<ひとり>
商店街の真っ暗な内部が これ以上ないほど暗くなる
ナイフを差し込んで隙間を押し広げるかのように光が漏れでていようとも

切実さはあんなふうに表現しなければならない
これ以上ないほど ぐっと唇を引き結んで

頬にぴたりと押しつけた携帯をぎゅっと握りしめて
これ以上ないほど うなじを垂れるあの人みたいに

耳はえらになった
魚になった
漂い流れた

プラカードはこれ以上ないほど明るくなる
月は観覧車のように これ以上ないほど迫ってくる

あのマネキンには瞳がある
あの彫像には瞳がない
これ以上ないほど人間に似せようとして

夜はこのうえなく冷える
怒りはこんなふうに表現しなければならぬ
これ以上ないほど急進的に

家はくしゃりと潰れる
ゴミ収集車が ゴミ袋を回収するように
最後の父を回収していく

真っ暗な明日が段ボールのように積み上げられている
今日が明日を断崖へと連れてゆく

窓を開ければ風が吹きこむ
あっ、私の匂いがする

<ほこりの見える朝>
静かに静けさをきわめる
覗きこんできた陽射しが部屋の片隅を白く切り取るとき

体をすっとのばして横たわって 次の人世につま先で触れる
ゴム跳びのひもを踏んだだけで 死んだ、と思った幼い頃のように

私は私なりに
極楽鳥は極楽鳥なりに

ほこりはほこりなりに 静けさを静かにきわめる

<別れる者のように>
別れる者のように
言葉は静かに口の中にしまったね

雨が降って
瘦せ細った木の枝の節ごとに
水の雫がきらきらと
クリスマスツリーの飾りみたい

わたしたちは雫の数を
はてしなく数えたくて
二万二千二十三、二万二千二十四……

私はそっと起き上がり
生まれて初めてのように手足を動かし
お茶を沸かし

スプーンをかちゃかちゃ鳴らして
あなたは生まれてからずっとそうしてきた者のように
長い時間砂糖を溶かしていたね

太陽が少しずつ傾いて行った
ベランダの植木鉢は
影を少しずつ動かして行った

贈り物のように心臓から何かをとりだす
わたしの手のひらには黒い
石が一つ

お返しのように何かを肺からとりだす
あなたの手のひらには白い石が
一つ

別れる者のように わたしたちは
無口な石になったね


<メタファーの質量>
最初わたしたちは耳だったはずです、たぶん。あたたかな単語と単語がポケット辞典のようにゆらゆらしている耳たぶだったはず、たぶん。あのときわたしたちは辞書の素肌を覗きこみましたね。ここの2ページ、おなじじゃないですか? 乱丁本なのかしら? それからわたしたちは器だったはずです、ひょっとしたら。アイスクリームをカップによそうようにして生きてきた日々の独白がとけて流れでないよう、ちっちゃな器みたいに身をすくめなくちゃいけなかったはず。あのときのわたしたちは美味しかったですね。あのときのわたしたちは両掌みたいに密着していたはずですね。告解みたいなものだったはず、どうかすると。イチゴ味とメロン味が渦のように混じり合った頃には日が暮れていました。そのあとのわたしたちは互いの記録でした。手首が手を逃す瞬間について、時計が時間を逃がす瞬間について、天と地があんなふうにして地平線を作るみたいに、上唇と下唇をそんなふうにして沈黙を作りましたね。背後には流れ星が一つ、また一つ、流れ落ちていましたね。それからわたしたちは鈴になりました。動けば音をたて、止まれば静まり返る、丸まって熱中する共鳴筒にもなりましたね。歓喜雀躍すすり泣き、ケラケラ大聲慟哭、恩寵のように、トカゲの尻尾のように。わたしたちはついに流れる水になりましたね。わたしたちはついに見つめあう水になりましたね。いまや、わたしたちは問いになる時間です。それは盲いた者が家への道を心のうちで思い描く時間。はかなくはありません。はてしなくはありません。ひとり発音する安否を尋ねる言葉が早瀬の水のように流れゆくここは、どこの国のどの路地なのでしょうか。これは不時着なのでしょうか、到着なのでしょうか。さてさて、わたしたちの数々の問いは落書きなのでしょうか、呼びかけなのでしょうか、いつの日にかは祈り、なのでしょうか?

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