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【自傷行為】分析タイム

初めて見た警告。

どうやら、自傷行為について赤裸々に書いたこのあいだの記事はアウト判定されてしまったようです。読んでくださった方々ありがとうございました。悔しい……けど仕方ない。具体的にどこが悪かったのか知りたい。自分の胸に手を当てて考えろということなんでしょうか。自分でもあの記事はちょっとやりすぎたと反省しています。

今回はこの、公開停止されてしまった記事の派生です。直接的な表現はないので、公開停止にならないことを祈るのみです。


自傷が、切り付けがしたい!そう思ってしまう!
もう2か月くらいは我慢しているけれど、まだ2か月……というのが正直なところ。

受験の空気の不安定さをモロに感じてしまったり、母が弟に悲痛な声で怒鳴っていたり、自分への中傷の思考の蓋が開いちゃったり、理由は毎日色々ある。印象的だったのは共通テストの最中。鬱の思考がひどくなり切りつけていた頃のイメージが鮮明に目の前に蘇って、帰ったら切ろう……と思うことで耐えていた。切らなかったけれど!偉くはない、それが当たり前なんだから。

ということで、どうして?の自傷する理由から、切りつけと薬やエタノールを飲むことの違いまで、考えていきたいと思う。


自傷をする理由は、自分を責める思考?いや、それだけでもないように思える。書き出してみる。

・ダメな自分への苛立ちや不安をごまかす(自分を傷つけている快感)
・自己破壊的な行為によって、自分は正常ではないと確認する
・自分を認めて愛せる

まずダメな自分を傷つけることで、自分を罰している気分になって落ち着くというのがある。苛立ちや不安をごまかせる。血を見ると落ち着く、というのはあまり実感していないけれど、痛いと罰している感が増して気持ちがいい。自分をぞんざいに扱うことで快感を得ている節もある。

2番目がかなり大きくて、これが5割かもしれない。自分がまともだと自覚することが非常につらい時があるのだ。目標を高くして達成できない自分を責める癖とも密接に関係していると思われる。

こんなにつらいのに、自分は、病気じゃないのか?だとしたら頑張れない自分は何なんだ?頑張れない事実を受け入れるために、目に見える形で傷をつけ、まともではないと自分を確認すると楽になる。とにかく可視化しないと落ち着けないのだ。そうしてやっと、私はこんなに異常なのだから仕方がないとダメな自分を受け入れることができる。書いているとやはり、自分をいかに認められるかがネックになってくると感じている。

3番目は前の記事でも書いたけれど、切った後止血して手当てをしていると幸福感に包まれる。丁寧に取り組んでいると自分をいたわっている気分になるのだ。自分で傷をつけているのにアホすぎると言えばそうなのだが、目に見える形にしないとわからないアホだから。
あと謎の自信が出てくる。全能感というか。切って傷をつけたことを、よしよしやり遂げたね自分、と認められるのだ。わけがわからないがこの気持ちは大きい。自己肯定感がそこから湧いてくることもある。意味不明。

音楽聴きながら切っていたので、もはや薬物に近い位置づけだったような気がする。トリップ的な。プラスを得るためにというよりはマイナスから逃げるためだけれど。依存するという意味でも似ているのかな。


飲む自傷は、現実から逃げるという意味が大きい。自分を傷つけている快感もあるが、強い抗不安の作用が欲しくてやるという面が強く、薬が効かないからやっている、といった感じでもある。エタノールなんかはその面が強く始めたが、今は自分の自傷欲を満足させるためにたまに手を出す。

切ると痕が残るので長期的に自尊心など気分が残るのだが(後悔も残る)、飲むものは一時的な効果でしかない。だから繰り返すし、忘れるから量も平然と増やす。身体によくないと頭ではわかっていても、未来の自分を思いやれる精神状態ではないので、手が止まらない。


書き出してみると意味不明で頭を抱えるような内容。追い込まれると逃げ込んでしまうのだから、手が付けられない。
気が済まなくなってしまうときがあるのだ。どうしても、やらないといけないと思ってしまう時がある。異常な思考が止まらない時がある。鮮明に浮かんでどうしようもないのだ、やると得られるものがあると知っているから。

自己破壊的な行動を控えている現状は褒めていいと思っている。気持ちがまた暴走しないことを願いつつ、穏やかに毎日を送りたい。

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