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あなたが何をしたいのかわかりません

早慶上理向けの模試を申し込んで受けに行ってきた。その話をしたところ、友達に言われたこと。

「どうしてそんなに勉強に取り憑かれてるのかやっぱり全く理解できないよ
あなたが何をしたいのかわかりません」

歯に衣着せぬ物言い、ガツンときた。友達は今国立大の二次試験に向けて勉強に忙しくしているところ。精神の不調と勉強について一番話してきた、特に仲の良い友達だから、応援しつつも話すのが辛い時もある。


私は何をしたいのだろうか?こう言われて考え込んだ。確かに、模試なんてわざわざ精神が不安定になるものを自分で申し込んで受けに行った。それも、今のレベルには見合わないものを。来年目指しているところだから同日模試みたいなノリで、というのはわかる。わかるけど。

確かに私が何をしたいのか、私もわからない。実際に模試までの期間、精神はあまり良くなかった。母の前で泣いてばかりいたし、夜も眠れない。生活リズムはいつもに増して乱れ、勉強にもなかなか手をつけられない始末だった。共テが終わって気持ちがひと段落していたのもあったけれど。にしても。

何で勉強に執着するの?と、何度も、その友達に不思議そうに尋ねられてきた。勉強をやめることを一番強く勧めてきていたのも、その友達だった。でも私は反発した。私のことが嫌いだから、私が気に食わないから、私が向上しようとするのを止めるのだと思っていた。けれども今はもうわかる。傍から見たら、私が何をしたいのかわからない。

良い大学に受からなきゃ。それは、私のやりたいことなのか?
いや、そうなれたら良いな、とはもちろん思っている。一生の支えになる学歴を得たいという気持ちは強いし、それで今まで行動してきた。期待してくれた人をがっかりさせたくない、というのもあって。

ただ、やりたいことなのかはわからない。勉強をこんなに拒否するのは、ただサボっているだけだと自分に言い聞かせている。また頑張って、ある程度の結果を出せれば自尊心も戻るだろうと淡い期待を抱いている。

ただ、共通テストを受けたあとも、模試を受けたあとも、もっといけたんじゃないか、という気持ちに囚われて、達成感はあまりなかった。高い目標をクリアしないと自分を認められない癖は強者で、精神に翳りをもたらしている。
テスト中も、精神的な自傷が止まらず、吐きそうになるくらいだった。テストの度に起こるその現象や、過呼吸を起こした経験が積み重なって、テストすなわち勉強を怖がっているのは事実だ。


勉強をやめたら私には何が残るのだろう。体力もない。気力もない。機転も利かない(これは主に所属してきた部活動で思い知った)。人の上に立つのは苦手。自信もない。精神不安定。

だったら比較的得意な勉強でどうにか、後ろ盾のようなものを得ないと生きていけないんじゃないかと思うのだ。人生この先が怖いんだ。希望もないことはないけど、薄すぎて。
そう言っても、その友達はこう言うでしょう。本末転倒だと。それが事実。

どうやって生きていったらいいんだろう。良い大学に行かない人生なんて、自分に当てはめて考えたことがなかった。傲慢で、過度に期待して、自分はレールの上を走っていけると信じきっていた。でも段々と現実味を帯びてきている、新しい生き方をインプットしなくてはならないか?でもそれは、逃げなのではないか?できる可能性があるなら、それを追うべきでは?

頑固な向上心は褒められてきたけれど、今は私の中の大きな荷物、課題を孕んだものになっている。どう扱ったらいいものか。

したいことができる人生にしたい。

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