![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162342557/rectangle_large_type_2_d4f4bf7a1f7277bf99925261405c9430.png?width=1200)
愛について②
「愛とは求めるものではなく与えるもの」
愛とは何か?
人生の所々で出会う命題ですね。わたしだけかな?
わたしには愛とはこういうものであると示してくれた二人の人物がいます。もうひとりは、ジョンレノンです。
All you need is Love. 愛こそが全て
1960年代、イギリスのリバプールから現れたビートルズは、当時のミュージックシーンをことごとく塗り替えていきました。
当時のイギリスではまだまだ階級意識が強く、労働階級の出のミュージシャンでは初めて王室主催の晩さん会で演奏しました。
その時のジョンのジョークが有名ですね。
「次が最後の曲ですが、ひとつお願いがあります。安い席の人は手拍子をお願いします。そのほかの方たちは宝石をじゃらじゃら鳴らしてください」
そして、アメリカに渡った時は、黒人のソウルミュージシャンとの交流を積極的に行い人種の壁も打ち破っていったのです。
ビートルズの活動期間は、1962年から1970年の8年間、
ソロになってからのジョンレノンは、
「イマジン」「平和を我らに」「LOVE」「Woman Is the Nigger of the World(女は世界の奴隷(黒人)か)」などを次々と発表、
平和と愛し合うことをメッセージとして発信し続けました。
ジョンが無名の芸術家Yoko Onoの個展に行った時のこと。
部屋の真ん中に脚立があり、天井に虫メガネが吊下げられていて、天井に小さな文字が書いてあり、虫メガネで覗くと、
そこには「Yes」と。
ジョンはノックアウトされ、この作者に会いたい!
お互い妻子持ちの二人でしたが、一瞬で恋に落ちたのです。
サザンオールスターズの桑田佳祐が
「おれは世界平和のために全裸にはなれない」とラジオで言っていたのを覚えています。
様々なミュージシャンに影響を与え、
ガンジーとは違うステージで戦うことよりも愛し合うことの素晴らしさを40歳という短い生涯で発信し続けたのです。
1980年12月8日
ジョンレノンは、ニューヨークの自宅、ダコタハウス前の路上で自称ファンと名乗るマークデビッドチャップマンという男に射殺されました。
小野洋子との間に生まれたショーンの育児のために長い長いハウスハズバンド(主夫)生活から、久しぶりに「ダブルファンタジー」というアルバムを発表、
世界ツアーを開始し、フィナーレは日本だったと言われていました。
その矢先に凶弾に倒れ、ジョンレノンは愛の化身になったのです。
十数年前にさいたま副都心、さいたまミュージアムに小野洋子と大成建設の好意でジョンレノンミュージアム(2000年~2010年9月閉館)というのがありました。
ビートルズ神社としてファン(信者)たちがお参りに行くが如く。
ジョンレノンミュージアムの最後の部屋には透明な椅子が並べられていて、白い壁と部屋の中の透明な衝立にジョンレノンの残した言葉たちが散りばめられていました。
「大成功いいんじゃない、大失敗いいんじゃない、君の人生なんだから」
All you need is Love. 愛こそが全て
ジョンは愛の化身になった。
100Love
人間百年ラブラトリ ホームページ
https://pro.100love.jp/p/home