人間百年ラブラトリ

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最近の記事

男の作法

鬼平犯科帳や剣客商売などでおなじみの池波正太郎、もうお亡くなりになってしまいましたが、グルメでも有名でした。 かなり前に池波正太郎さんの書いた「男の作法」という著書を読みました。 ここに書かれていたことはいまだにわたしの根底にしみついています。 天ぷら屋に行くときはよ、腹ペコで行かなきゃお店に失礼だ。 だから、天ぷら屋では、揚がったら食う揚がったら食うを心がけるもんだ。 寿司屋に行くときはよ、一見さんだったらいきなりカウンターの真ん中に座っちゃぁいけねぇよ。 カウ

    • ペイフォワード

      わたしは大学時代のギター部の二つ上にアラジュンさんという先輩がいました。 アラジュンさんは、後輩と行く食事でも呑みでも、必ずおごってくれました。 お金がない時でも絶対に割り勘を許してくれませんでした。 アラジュンさんの口グセは、 「オレはお前らにおごってるんじゃない、お前らから続く未来に金を出している」 「だから、お前らも後輩を大切にしろ」 「そうやって世の中は回ってるんだ。」 「でもな、お前らは同じことを無理してやらんでもいい。」 二十歳そこそこの若造が、そ

      • トキの仕組み

        旧暦と言われる太陰暦が使われなくなって150年近く経ちます。 今の暦は太陽暦、グレゴリオ暦と呼ばれるもので、明治維新後の日本が欧米列強に追いつこうとして、明治6年時間軸も列強の使っている暦に変えたのです。 (今年2024年も2月10日が旧暦のお正月でしたから、中国をはじめ旧暦の暦で生活しているアジアの12か国は春節と呼ばれる正月休みでした。) だから以前使っていた暦は、旧暦と言われています。 ただ、この旧暦、四季を持つ日本人の生活感にとっても合っていました。 日本人

        • ダンディズム考

          わたしも学生の頃、かっこいい大人になりたいと思っていました。 かっこいいなぁと思った大人たちは数多くいました。 男は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。 君の瞳に乾杯 ハンフリーボガードや007のジェームスボンド(ショーンコネリー) ジェームスディーン、スティーブマックイーン、ロバートレッドフォード、鶴田浩二、藤竜也、高倉健、ショーケン、松田優作、クリントイーストウッド、ピアースブロスナン等々 何ともスマートでカッコいい。 ダンディにな

          ミニカーの想い出

          たぶん小学校に上がったばかりの頃だったと思います。 わたしはお金を盗みました。 ていうか、お金の価値を知り始めた頃で、親の机の引き出しがドーンと開いていて、そこに紙のお金が置いてあったのです。 たぶん一万円札だったと思います。 わたしはそれを取りました。 そのお金をどうしたか全く覚えていませんが、わたしがお金を盗んだということになりました。 父親から、そこに座れと言われ、正座しました。 「どうして盗んだのか?」 「どういうことかわかっているのか?」 「何が欲

          人事担当ハレルヤ氏の採用①

          町中の小さな医療機器の組立工場にハレルヤ氏は働いていました。 時に現場で組み立て、時に品質管理、そしてメインは人事担当でした。 新しいパートさんの募集があるとハレルヤ氏が面接し、採否を決めていました。 社内で彼の眼力は認められていたので、彼は思う存分採用の仕事を楽しんでいました。 彼の採否の否の人は、根暗な人でした。 でも時には根暗な人も採用したりしていましたから、そうでもありません。 さて、今回もパート従業員希望の女性の面接です。 17歳、女性、無職、ユキ

          人事担当ハレルヤ氏の採用①

          時に「教える」は罪なこと

          以前、業務用エアコン工事の立ち会いをした時のこと 業者の中に若い茶髪のあんちゃんがいました。 脚立に乗って天井の点検口に頭を突っ込んだまま、器用に脚立の跨ぎを変えて行ったり来たり、エアコンの配管、配線を天井裏で小気味良くこなしていました。 若いのに大したものだと思い、業者履歴書をみると21歳、業務歴6年!いっぱしのキャリアじゃないですか! 若いうちに手に職をもったわけで、これから先どんな職人になっていくことか! 日本の未来に頼もしさを感じたのです。 わたしも祖父、

          時に「教える」は罪なこと

          天才と暮らしていた

          わたしには息子がいます。 もう30歳になったでしょうか? 訳アリで今どこにいるのか知りません。 子どもを持つと親になります。 親になると子どもを育てようと意気込んだりして、夫婦でいろいろ話し合ったりします。 しかし、過ぎ去った過去を反芻してみると実際の体感は全く違います。 子どもを育てるどころか、自分が成長させてもらったという体験です。 世に言う教育という教え育てるなんておこがましい。 共に育った体験でしかありませんでした。 子によって親にさせてもらったので

          天才と暮らしていた