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天才と暮らしていた

わたしには息子がいます。

もう30歳になったでしょうか?

訳アリで今どこにいるのか知りません。

子どもを持つと親になります。

親になると子どもを育てようと意気込んだりして、夫婦でいろいろ話し合ったりします。

しかし、過ぎ去った過去を反芻してみると実際の体感は全く違います。

子どもを育てるどころか、自分が成長させてもらったという体験です。

世に言う教育という教え育てるなんておこがましい。

共に育った体験でしかありませんでした。

子によって親にさせてもらったのです。

さて、息子、MySonと暮らしていたころ、わたしは常々彼が天才だと感じたものです。

まだ言葉がままならないのに、納豆のことをイッピ、豆腐のことをフーハと言っていたのです。

他にもリネームしたものや編み出した言葉はたくさんあったのですが、残念ながら残っていません。

その頃から、我が家では、納豆をイッピ、豆腐をフーハと呼ぶようになりました。サンマのことはおかずの王様、ヤマサキのロールケーキは、おやつの王様と呼んでいました。

言葉を生み出し、いろいろなコンテキストが、彼によって書き替えられていきました。

それは本当に刺激的でした。

言葉の魔術師、それがMySonでした。

わたしはMySonが小学5年のときに芥川龍之介の話をしました。

ついでに芥川賞の話もしました。芥川賞を獲った作家は将来が約束されたようなものだということを語ったのを覚えています。

するとMySonは、瞬く間に10編ほどの短編小説を書きあげました。

「呪いの紙袋」~「時間逆(タイムダウン)」

などで、他の題名は忘れましたが、内容は、我を張ったり欲にまみれた人たちが、出来事が起こり改心するか、落ちていくか、

どストレートで単純明快、非常におもしろかった記憶が残っています。

これが親バカというものです。

うちの子の場合は、言葉の綾なす世界でした。

自分の子に可能性を見い出し、そこを広げてあげる。それは本当に楽しかったし、すばらしい体験でした。

お子さんをお持ちの皆さんは全員、一時期天才と暮らしていましたよね。

身に覚えがあるんじゃないでしょうか?

息子さんや娘さんの感性のすばらしさに眼をむいた体験があったんじゃないでしょうか。そこんところは、是非伸ばしてあげてください。

そして、もしも今、天才と一緒に暮らているのであれば、今という時を大切にしてくださいね。

天才と過ごす時間は有限でそれは奇跡の時間なのですから。

100Love

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