ビジョンビジョン①田中角栄
令和6年10月1日日本の新首相石破内閣が発足しました。
国民不在、いかがわしい宗教団体をバックに持つ脱税政党が日本の首相を決めている非常に滑稽な状況に一喜一憂する気にもならず、選挙で与党過半数割れになっても狂ったものを元に戻す気はさらさらないように見えます。
ビジョンが亡くなってしまった国の運営には、ただの失望しかありません。かつて民主党が政権を取ったときに国民のためになる政策は、ことごとくつぶされたそうです。
なぜ?
民主党に良い政治をさせて人気をあげさせないために…
こういう話を聞くと絶句します。
どこを向いて政治やってんだか。
さて、今回は田中角栄さんの話です。
田中角栄という政治家がやったこと
極貧の農家に生まれた田中角栄は、家計を助けるため進学を断念、15歳で上京、建築屋で働く傍ら夜間は土木を学び、25歳で土建会社を設立し、GHQに食い込みかなりの利益を上げた。
日本初の国政選挙に27歳で出馬するも落選、翌年の選挙で見事当選、新潟から国会議員になった。
時代は戦後復興のど真ん中、
選挙でのうたい文句は、三国峠を更地にして、その土砂で佐渡を陸続きにする、と。
新潟は裏日本と呼ばれ、三国のお山を越えることが中央との流通の唯一の経路だった。
田中角栄が最初から最後まで貫いた理念は、
「地域格差をなくす」
これすなわち中央に集中する富という果実を地方に分散できるような仕組みをつくること。即ち、道路網を発展させることだった。
自分が地方の極貧家庭にいた経験から、働きづめの母親や彼ら(そして自分)を救うことがミッションだった。
最初にやったのが、公約通り三国峠にトンネルを掘った。
これにより新潟の物産、特に米が全国の流通網に乗った。
そして、田中政策に乗った西武堤により苗場スキー場ができ、都心部からは新潟に遊びに来る観光客が増えた。
新潟は潤った。
さらにガソリン税を導入し、クルマが走るだけで税収が増えるようにした。
この後、田中角栄は、このモデルケースを基に全国に水平展開していく。
日本全国に道路網を敷いていく。
日本初の高速道路、名神高速道路をつくり、中央自動車道ができた時に富士急ハイランドができた。
その後田中角栄は郵政大臣になったときも同じ思考で、民放三十数社、NHK7局を新たに認可して、放送網を日本全国に行きわたらせた。
放送の地域格差を失くした。
戦後最年少54歳で総理大臣になったときに掲げた政策は、
「日本列島改造論」
日本全国に交通網が敷き詰められ、地方都市に工業地帯ができ、地域格差がなくなり、日本は地方のいわゆる毛細血管まで血液がいきわたる如く流通網が発展し、機能的な国家となった。
総理大臣になって78日目に中国にわたり、毛沢東と会談し、日中国交正常化を果たした。
その後、工業化が進み、中東戦争でオイルの値段が暴騰、トイレットペーパーが品薄になるという所謂オイルショックの時に高騰するエネルギー政策として原子力発電政策を開始。
列島改造は、地価/物価上昇を招き経済失策となり、支持率が下落、
それから、インフラ政策(法整備→予算の確保→助成)が利権の温床となり、経済復興の行きついた先は金まみれのおよそ理性的な社会ではなくなっていた。
田中角栄というリーダーがやったことは、是非はともかく政策重視の素晴らしい実績であったとに間違いありません。
ただ、田中角栄のその後は権力の集中が富の集中、私腹を肥やしたのか分かりませんが、ロッキード事件の収賄罪で長い長い裁判の途中、刑事被告人のまま75歳で他界
田中角栄という政治家がリーダとなって国民が求めるビジョンを示し、国民もそれを支持し、戦後復興の大改革を成し遂げたのは事実です。
時代が求めているものに対して推進できるリーダを得た時、一気に事は動き出したのです。
ビジョンビジョン
今の政治のビジョンどうなってんだ?
オレたちは、物価高と外国人との不公平感と、脱税議員を罪に問わない曲がった司法と、大事なことを報道しないことなかれマスコミと世界一高い税金に苦しんでいるぜ。
少なくとも日本人のオレたちのための政治をやってくれよ!
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