「チョコレート」 善方基晴
「自分が自分であることがひどく悲しかった」
どこかで読んだこの言葉は、一度では意味が分からず、何度か読んでやっと理解できた。
自分が自分であることが悲しい瞬間は今までの人生であったけれど、それが改めて具体的に言葉にされていると、切なくなる。
自分が自分であることがひどく悲しいということは、自分を否定してだれかほかの人、憧れのあの人みたいになりたいと願っている場合や、単純に自分の能力の低さに失望しているということもある。
また、僕の経験上、自分が自分であることが悲しいと思うとき、ただ悲しいのではなく、たいていの場合「ひどく」悲しいことが多い。どこまでいっても自分は自分であり、自分から逃れられないことを意識させられるとその悲しみは深くなる。
中学2年生の時、バレンタインデーの日に吹奏楽部の女子から「今日の放課後、2組の鈴木君と一緒に音楽室に来てください」と書かれた小さなメモを渡されたことがある。
もちろん、こんなことは初めてで絶対告白されるものだと思ったが、物静かだけどかっこよくて人気者の鈴木君も一緒ということが気になった。ただ、僕と鈴木君は同じ部活で仲もよかったので、放課後二人で興奮しながら、でもそれをお互いに悟られないように変に冷静を装って、そして少しダルそうに音楽室に行った。
いざ、音楽室に着くと、女子が二人いて、そのうちの一人は鈴木君にまっすぐに告白していた。僕の隣で。
その女子は「いつからか、鈴木君のことが好きになっちゃいました」と言っていた。
好きになっちゃいました?
「好きになっちゃった」って、まるで自分の意志ではないかのように、自然とそうなってしまったみたいに。
鈴木君は「あ、ああ、ありがとう」と言って、おそらくチョコが入っているであろう袋を受け取っていた。
そしてもう一人音楽室にいた吹奏楽部の女子が僕のところに来て、言った。
「よかったら、私と友達になってください」
友達?
僕の目の前で。
その女子と僕は1年生の時は同じクラスだった。
頻繁にしゃべっていたわけではないけれど、僕はその子のことを友達だと思っていた。友達だと思っていた女子から「友達になってください」って、友達とは何なのだろうと思わずにはいられない。
友達になるために、面と向かって申し入れが必要なのだろうか?僕は、「あ、はい」と言ってその子から小さなお菓子を受け取った。「よかったら」ってどういう意味だ。「付き合ってください」が拒まれる理由は分かるけれど、「友達になってください」という申し入れを拒否する人はほとんどいないと思う。
今になって思い返すと、きっと鈴木君に思いを伝えたかった子は、一人で告白するには勇気が出ず、仲の良い吹奏楽部の子に隣にいてほしいみたいなお願いをして、お願いされたその女子もどうせなら私も誰かにバレンタイン渡そうみたいになって、抱き合わせで、好きではないけれど友達になってみたい僕が選ばれたのではないかと思っている。
鈴木君はその女子を振って、勇気を出して告白したその子は泣いてしまったらしいと後で聞いた。
鈴木君みたいになりたいわけではないけれど(本当に)、こうして僕は、やはりどこまでいっても、自分は自分から逃れられないのだと中学生の時に悟った。
最近僕はガルボというチョコレートのお菓子を時々食べる。
その食べている姿とかも、俯瞰で見たら、やっぱり自分が自分であることがひどく悲しくなるのだろうと、たまに思う。
鈴木君がガルボを食べている姿は、様になっているに違いない。
ネネネ 善方基晴