「カラオケ」 松平
私はあまり冒険しないタイプだ。
入る飲食店や頼むメニュー、服装や髪型などもあまり変わらない。
チェーン店のソファー席が1番安心する。
それは衣・食に留まらず、娯楽もそうだ。
学生時代、友達と遊ぶ場所は決まって最寄駅から徒歩3分ほどのカラオケだった。
放課後何時間か暇な時間ができた日も、
土日に遊ぼうと集まった日も、文化祭の打ち上げも、結局行き先はそこのカラオケになっていた。
いつものカラオケに行き、あまり広くないので案内される部屋もほぼ変わらない。そこで喋ったり歌ったりしながら適当に過ごす。
カラオケにも関わらず、歌わない日も結構な頻度であった。
トランプやUNOなどのボードゲームを10種類ほど持ち込み、ルールの穴を見つけるくらいまで打ち込んだり。
GEOでレンタルした適当な映画を持ってDVDプレイヤー付きの部屋に案内してもらい、感想を言い合う暇もなく片っ端から見たり。
シンプルに雑談だけで何時間も経ってたり。
フリータイム中、マイクを握らない日が増えていく。
今思えば、カラオケに行きすぎて歌を歌うということに飽きていたのではないか、と思う。
人類は旧石器時代から歌という文化を繋いできたというのに。
娯楽を冒険しなさすぎるあまり“音楽”に飽きてしまったのだ。
それほどまでにカラオケにしか行っていなかった。
冒険心とかどうとかではなく、流石に他の娯楽を知らなすぎるのかもしれないが。
私たちはカラオケを、ただの6畳くらいの部屋として使いながら高校を卒業した。
最後にタンバリンを握ったのはいつだろう。
次、もしその学生時代の友達と会う時があればカラオケ以外の何かに行こうと思う。
猫カフェでも映画館でも水族館でも何でも。
カラオケが併設していないラウンドワンでも。
行ったことないところに。
そしてもう一度あのカラオケに行って、久しぶりに正しいカラオケの使い方をしよう。
そしたらまた何年か、冒険しなくて済むはずだ。