「おふろ」 松平
おふろに入るのが億劫だ。
こうしている今も、もう沸いているおふろに「これを書き終えてから」と先延ばしの言い訳をしている。だんだんと冷めていく湯船の存在を無視して。
旅行先の温泉は、元を取ろうと暇さえあれば入りに行くし、ビジネスホテルの部屋風呂もさほど面倒じゃない。
こなすタスクの量は変わらないのに、家のおふろとなると、とたんに億劫になってしまう。
人生で、おふろを出てから後悔したことはない。
「気持ちいい!さっぱりした!入ってよかった!」
と思いながら毎回バスマットを踏み締める。
「やっぱ今日入らなければよかったな」
と思いながらおふろを出た回は一度もないし、これからも絶対にないと思う。
それほどの圧倒的な信頼を、私はおふろに抱いているのに、なぜこんなにも腰が重いのだろう。
風呂上がりの快感を、手前の怠惰が簡単には乗り越えてくれない。
そういう時、私は思い出す話がある。
小さいときに読んだ漫画『あさりちゃん』71巻に収録されている、「今年のよごれにさようなら」という話だ。
大晦日が舞台の話で、タイトルの通り、さんごママ(あさりちゃんの母)があさりちゃんに「今年のよごれは今年のうちに落としなさい」と言っておふろに促す話なのだが、なぜかすごく心に残っている。
当時小2だか小3だかの私には「今年のよごれは今年のうちに落とす」という考えが
斬新で、納得して、気に入った。好きな思想。
実際に大晦日には「今年のよごれは今年のうちに落とさないとね〜」なんて考えながら身体を洗っていた。
その今年を今日に変えてみたらどうだろう。
「今年のよごれを今年のうちに落とす」というのは、今年のよごれを来年に持ち越さず、ピカピカのまっさらな状態で新年を迎える。ということ。
物理的なよごれだけでなく、悩みや不安などの精神的なよごれも、おふろで流して来年に持ち越さない。という意味も含まれている、
と勝手に思っている。
その規模を年単位から日単位に小さくして、「今日のよごれは今日のうちに落とす」としてみる。
0時になる前におふろに入って、その日流した汗を全て洗い流して、まっさらな状態で明日を迎える。
規模が小さくなっただけで、言ってることもやってることも同じだ。好きな思想。
これを思い浮かべると、億劫だなんて言ってないで、今日の汚れを明日に持ち越さないために、さっさとおふろに入ってしまおう、
さんごママ(あさりちゃんの母)のおかげでそんなスムーズな思考を手に入れ、おふろがそこまで億劫ではなくなる。
億劫だと感じる前に行動に移せるようになった。
ありがとうさんごママ(あさりちゃんの母)。
これだけあさりちゃんの話をしたら久しぶりに読みたくなってしまった。
たくさんあった単行本は今家のどこにあるのだろうか。
調べてみたら「今年のよごれにさようなら」を含め、さまざまな話が小学館のHPで公開されていた。
懐かしい話がいっぱいあってテンションが上がる。どれから読もうか迷ってしまう。
とりあえず、お世話になっている「今年のよごれにさようなら」を読もう。
だいぶ冷め切ったであろう湯船に、これを読んだら追い焚きを押すから、と先延ばしの言い訳をしながら私は電子のページをめくった。