「ゲーム機」 善方基晴
小学生の途中まで、しばらく進研ゼミをやっていた。
コラショという陽気なキャラクターと共に「チャレンジ」と書かれている教材を使って一人で勉強する、通信制の塾みたいなあれだ。
ベネッセという会社によって行われる「チャレンジ」には、子どもたちの勉強のやる気を引き出すために、様々な企画があった。
そのうちの一つに、ただ教材を使って問題を解くのではなくゲームを進める中で勉強できる、とあるゲーム機が家に届いたことがある。
そのゲームは、進研ゼミの手にかかっていたゲームだったため、単純に敵を倒したりとか冒険を進めるのではなく、算数の計算や漢字の問題に正解したら、敵を倒せたりポイントがもらえるゲームだった。
そのゲームに一時期完全に没入していた。
家にいて暇なときは夢中になって、そのゲームをやっていた。
タッチペンを使って計算の答えや漢字を画面に直接書くことのできる喜びや、単純にもっとポイントを重ねて強い敵を倒したいという純粋な気持ちのもと、全力で挑んでいた。
しばらくして、「チャレンジ」をやりこなすことができなくなり、完全に自分の怠惰によるものなのだが、進研ゼミをやめた。
日々教材を進めていく中で「チャレンジ」のページの右下に、「あと6ページ!がんばれ!」とか「あと4ページ!もう少し!」いう言葉が書かれていたりして、それに毎回毎回無性に腹が立ってやめてしまった。
ただ、勉強はやめたのに、ゲーム機は手元に残った。
「チャレンジ」で問題を解くことは無くなったのに、ゲームはやり続けられた。
もう学年も上がっていて、ゲームの中の計算や漢字の問題も簡単に解けるようになっていたのに、そのゲームは常にそこにあり、いつでも好きな時にやることができた。
徐々に自分がやっていることが少しずるいような気もした。勉強をしなくてもゲームはできる自分の環境に抱いた罪悪感のようなその感覚を自分で認識できていることにも驚いた。
数か月後にはもうそのゲームもやらなくなる。
「チャレンジ」とあのゲーム機は、僕に罪悪感とは何か、その実感を教えてくれた。
大人になった今、勉強もせず働きもせず、ただゲームだけをすることに罪悪感を微塵も感じなくなっている。
こんな怠惰な僕をコラショが見たら何と言うのだろう。
「チャレンジ」をやめた時点で見放されているとは思うけれど。