「写真」 善方基晴
僕が尊敬してやまないとある人は、若い頃はあまりお金がなかったためエアコンのついていない部屋に住んでいたという。
その人は、街で室外機を見かけるたびに自分はその家に住む人に負けていると感じていたらしい。
室外機があるということは、その部屋にはエアコンがついているということであり、エアコンがついている部屋に住めるということは、それなりの収入を得ている人がそこには住んでいると推測できる。
僕はその話に触れて以来、街を歩いているときや電車から住宅街を見下ろせるようなとき、なんとなく室外機が気になるようになった。
そんな折、吉祥寺の建物の2階から発見した景色がこれだ。
商店が密集している地帯では、それぞれの建物の屋根に室外機が整然と並んでいた。室外機という名前からしても、部屋の外のどこかしらには置かないといけないのだとは思うが、屋根の上に大量の室外機という構図は圧迫感すら感じられる。
もしかしたら、商店街などではよくみられる光景なのかもしれないが、屋根の上に並ぶ室外機たちと目が合ったとき、なぜかとても自分のことを直視されている気がして足早に階段を下りた。
もしも僕が尊敬する人が若い頃にこの景色を見ていたら、どう思うのだろう。
僕の隣で敗北感を隠せていなかったとしたら、僕は「たぶん、これらの室外機はお店のもので、僕たちとは土俵が違うので相手にしなくていいと思います」と言い、もし、屋根の上に室外機を設置した状況を慮って、設置した業者の人が危険な目に遭わなかったかどうかを心配していたら、より一層尊敬しようと思う。
僕が街を歩いていて、お店の大きな室外機を見つけたときは、不快なぬるい風が轟音と共に吹きつけることが多いので、そっと離れて歩くようにしている。
善方基晴