自分の先住沼で偶然タイを見つけて
散々タイタイ、明けても暮れてもタイだタイ語だタイドラマだと言ってる、
在宅ワーク先生です。
前回の奔放タイ語勉強法がかなり好評で、うれしくも驚いています。
さて今日は、
どこでタイが出てくるのか、頑張って読んでやってください(笑)
旧華族のお姫さまにハマった高校時代
ここ最近、配信タイドラマの最終回が相次ぎ、ちょっとロス気味(暇)だったので、
古巣である旧皇族華族沼に帰省していました。
旧皇族華族とは、戦前日本の特権階級の人々を指します。その栄華は100年も続かなかった、幻の人々です。
それはそれは華やかな人達ながら、歩んだ運命は仄暗く様々。
それが沼る理由です。
別記事でも書きましたが、
ミステリーかサスペンスを読んでる気分になるほど、ドラマチックで重たい人生ばかりで惹かれるんですよね。
高校生の頃にそんな世界に出会って、それはもうハマりました。
周囲の友人との温度差…すごかったな…(遠い目)
さてその中でも名家中の名家である旧嵯峨侯爵家の、嵯峨浩(さが ひろ)さまについて、
その数奇な人生ドラマに惹かれ興味を持ち、何年も文献や自伝を拝してきました。
嵯峨家といえば、明治維新前は正親町三条(おおぎまちさんじょう)を名乗った公家で、
五摂家に次ぐ名門のお家柄です。
何より、明治天皇のご生母・中山一位局を通して、明治天皇とのお血筋がとても近いため、浩さまは深窓も深窓のお姫さまなのです。
しかも、お顔がものすごーーーくお美しい!!
高校生だった私は、ひと目で憧れてしまいました(単純)
なにせ、自分の顔がアレなので、キレイな方にすぐ憧れるのです。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓
嵯峨浩さまのご結婚後のお名前は「愛新覚羅浩」、その人生を物語るといっても過言では無いお名前ですね。
これだけで分かる方も多いはず。
中国清王朝のラストエンペラー・愛新覚羅溥儀の実の弟君のお妃なのです。
日本では「流転の王妃」と呼ばれ、常盤貴子さん主演でスペシャルドラマにもなりました。
昭和初期、すでにきな臭い満州国に皇帝として担がれていたラストエンペラー。
残念なことに皇帝は、長くお世継ぎに恵まれないでいました。
ならばと皇帝の弟・愛新覚羅溥傑(あいしんかくらふけつ)氏にお世継ぎを期待した日本の軍部。
その溥傑氏のお妃には、絶対に日本の皇族華族からとの思惑をもち、白羽の矢が立ったのが浩さまだったのです。
明治天皇とのご関係、
お名前が一文字で中国語と馴染みが良いこと、
ご健康であることなど、条件は揃っていました。
有無も言わせずお見合いの席が設けられます。
その場所として選ばれたのは、浩さまが生まれ育った母方のご実家・濱口邸でした。
ひときわ豪奢な「ルイの間」で、お二人は始めてお顔を合わされました。
この時、意外にもお互いに好印象を持たれたお二人は、その後何度もデートを重ねてご結婚。
残されているどのお写真も、政略結婚が始まりとは思えない表情のものばかりです。
浩さまのその後の怒涛の人生をご紹介したいけれど、長く長くなるので、ぜひググってみてくださいね!
人生のスタートの舞台として使われた濱口邸
そんなお二人の、
お式当日の記念写真がこちら。
印象的な意匠の濱口邸玄関扉の前で、軍服姿の溥傑氏と装束姿の浩さまが立っています。
はい、やっとこの辺からからタイ来ます!!!
お待たせしました!!
実はこの濱口邸、素晴らしい建物として当時から大変有名でした。
こだわり抜いた内装に加え、ロダンの彫刻を始めとした彫刻絵画やタペストリーなどの調度の全てが、一級品ばかり。
しかし、愛新覚羅浩さまがその後「流転の王妃」として、想像を絶するご苦労をされたのと同様、
この豪華な洋館も運命に翻弄されていきます。
紆余曲折あり、この家の当主は手塩にかけた洋館の将来を見据えだします。世の中が戦争一色となってきたからです。
昭和18年、空襲などの戦火を免れる目的もあって、最終的に建物を外国へ売却することにしました。
様々に検討を重ね、ここだ!と売却先となった相手。
それがタイ王国でした。
そして当主は、ある思い切った決断をします。
それは、ロダンなどの一級調度品をそのままに、タイ王国へ建物を引き渡すことにしたのです。
一つとっても大変な価値のある美術品ばかり。
それらを並々ならぬこだわりで、洋館のインテリアと設えとを完璧なマッチングで配していた濱口家当主。
しかし、せっかく買っていただけるのならと、そのままの状態で全てお渡しする、とおっしゃったそうです。
こうしてタイ大使館に生まれ変わった、この上大崎の旧濱口邸。
2024年現在、
「タイ大使公邸」としてなんと現役で使用されているんです!!!
歴史の証人を今も守るタイ王国
日本の有名な洋館が戦後、大使館や各国公邸として利用され、その老朽化からコンクリートの大使館に建て替えられる流れの中、
タイ王国はずっと変わらず、今日までこの洋館を何度も補修しながら動態保存をしてきました。
内部も歴代の公使やその夫人方によって、大切に大切にされているのが、様々なメディアの放送で紹介されています。
それほど、この濱口家当主の心意気に感動されているエピソードが、代々の大使に語り継がれているからなのだそうです。
浩さまのお嬢様はまだご存命でいらっしゃり、メディアにもよくお出になりますが、
現在でも、
公使ご夫妻主催のお食事やお茶会のご招待を受けて、度々ここを訪問していらっしゃいます。
民間交流ですね。
日本の中にある、微笑みの国のあたたかさ
数奇な運命の始まりを見守り、誰にも予想のできない船出の撮影場所となった、旧濱口邸。
この話を知ったのは、まだ私がタイタイタイ言う前ですから、その当時は「あらータイがお買い上げされたのね」
くらいにしか思っていませんでした。
しかし、人間は現金なものです。
今年、まんまとタイドラマからタイタイタイになった私。
今となっては、憧れの方の人生の出発地を大切に保存し守ってくれている国がタイということに、
込み上げるほど特別嬉しい気持ちになります。
タイの方々の、何年経っても絆を大切にしストーリーを語り継いで守っていく姿勢、その国民性がまた素敵に思えました。
人が人の誠意に触れたことで、歴史の絆を繋げ続けている。
それを現在のタイ大使公邸の姿は、見事に具現化しています。
改めて、歴史沼もタイ沼もいいなぁ。
と思う私なのです。
もう本当に、どこで何に突然ハマり、今までの何とリンクするか本当に分からない!
この記事、ざっくりすぎるけれど、結局私はタイと日本が大好きなのです。
今のところタイへ行くことは出来ないけれど、人々の温かさや交流は、日本の国内そこかしこにあるのですね。
ああー国際交流って素敵!
さあ!
さて次はどのタイドラマ観ようかな←←←←←←