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第15話 婚約における五つの時期
きみの手記にレギーネとの関係が〈五つの時期〉に分けて報告されている。
きみが最大の情愛を注いだであろうレギーネを介しての思索に立ち戻ろう。
なぜって、今の自分にとってそれが最も興味深く、きみが全生涯をかけて創作に打ち込んだ、その読者対象であると同時に、きみに筆を進めさせた情念の伴走者が、彼女の存在であったと思えるからだ。
このきみの省察をここに記すことを最後に、ひとまずわたしはおいとまするよ。
「心がわからない」、そのわからなさを、理解するきっかけになり得る〈五つの時期〉だと思う。
〈第一期〉 婚約初期の数ヵ月。きみのレギーネに対する態度は恋人らしく、いんぎんなもので、彼女に気に入られるようにあらゆる努力をした。
しかし、きみの内心は「おまえは婚約してもいいのか? 結婚してもいいのか?」という自問、そして不安に満ち満ちていた。
〈第二期〉レギーネは何か不安を感じはじめ、誇りプライドをむき出しにして、ひどいときには「婚約を承諾したのは同情のためだ」とさえきみに言い放った。
もしこのとき婚約を破棄していたならば、彼女の誇りは傷つけられず、きみの後悔は(何しろきみは婚約したその日の夜にもう後悔をしていたのだから!)終わることができただろう。
しかしきみはそうしなかった。
彼女に合わせることによって、彼女に対抗したのだときみはいう。
合わせることによって対抗する!
〈第三期〉 レギーネは急変した。彼女はきみに屈服し、愛情ぶかく、献身的になった。きみを愛し、崇拝するようにさえなった。
するときみに、きみの大切な、きみがきみであると認識させたところのあの憂愁、きみを手こずらせ、しかしきみがそれを愛することによってきみを生かしてきたような憂愁が、倍になってきみに還ってきた。
きみは、彼女の献身を受け入れてはならぬと思いはじめる。
きみは強固な意志となり、彼女の献身をますます拒絶するようになる。
〈第四期〉 きみはついに婚約を破棄しなければならなくなった。婚約指輪に手紙を添えて、きみは決意して送った。
「…… 何よりも、こうしてこれを書いている者を忘れてください。何かほかのことならできたのに、一人の娘を幸福にすることのできなかった人間を許してください…」
ところが、事態はこれで終わることはなかった。きみの本来の精神作用葛藤が、きみのなかで生き生きと蠢きはじめたからだ。
レギーネは絶望から立ち直ると、「婚約破棄はあなたの病的な憂鬱のせいだから、それをわたしがなおしてあげる」とさえ言ってきた。
「イエス・キリストにかけて、また亡き(セーレンの)お父様にかけて」自分を捨てないでくれと哀願し、彼女の家族親族が同じことを主張した。
レギーネの涙と、きみ自身の願望に対して、この時きみが対抗し得るものは、きみの良心だけだった!
きみの内面では、答が既に出ていたにもかかわらず、この婚約破棄の問題はいまや外的なものと化していた。
それは同じ倫理の二つの面、きみの内的良心と市民倫理の戦いとなった──(セーレン、きみは一をもって百を知る、一つの事象から理を発見し、そこに孕む心理、真理との接点を見い出し、そこから大きな翼を広げる鳥だったよ…)
〈第五期〉 きみは最善ともいえるし最悪ともいえる対策を講じた。つまり、レギーネから捨てられる自分になろうと試みたのだ。
きみは、若い娘の心をもてあそぶ悪人になった(そのふりをした)。
だが、それでもレギーネはきみから離れようとしない。そこできみは、
外見上だけでもレギーネが婚約を破棄することにしようと提案した。
外見上だけの名誉を守られることが、二重の屈辱となることは、もちろん彼女にはそれ以上の、何重もの、耐え難い屈辱だったろう!
レギーネは「死んでしまう!」と叫んだ。
彼女の父親は「娘と別れるのだけはよしてくれ」ときみに哀願した。
だが、それからきみは、ベルリンに向かって一人、旅立ってしまったのだ。
※ 参考文献/キルケゴール著作集第2巻「あれかこれか」第1部(下)浅井真男訳、白水社