第7話 愛について(一)
これは椎名さんが昭和二十六年に「指」というキリスト教機関誌(赤岩栄さんという上原教会の牧師が発行していた)に書いたもの。
「愛について」のタイトルでの椎名さんの文は、これで最後になる。
「『恋愛の最初の期間こそ、この上もなく美しいものである。そのときは、会うたびに、目と目を見交わすたびに、何やら新たな喜びが心のうちに起ってくるものだ』
これは『憂愁の哲理』の中のキルケゴールの言葉であるが、僕はこの短い彼の言葉に強く打たれる。
彼の言う新たな喜びが僕の心に伝わって来るだけでなく、その新たな喜びに、「何やら」と言わねばならないほどの、至高のものの影の宿っているような純粋さも僕に感じられて来るのである。
何かしら分からないが、しかしいつも新鮮な喜び。僕はこの言葉を、もう悲哀なしに聞くことはできない。
あの目と目を見交わした時の喜びには、何故、その都度、あのような慣れることのできない新鮮さが感じられるのだろう。
僕は、それはある恐怖からだと思われる。その恐怖を分析すれば、それは死の恐怖であることが分かるのである。」
「目と目を見交わし、お互いに会い得た喜びを心に感じながら、相手のわずかな心の曇りが、自分の喜びを根底から覆すかもしれないという不安と恐怖が、死の予感とさえなって強く心の中に根差しているからである。
相手が、自分を生かしも殺しもすることのできるということに対する恐怖が、絶えず自分を脅かしているからだ。
このような、恐怖にありながら喜び得る喜びは、キリスト者がイエスに対してもつ感情と極めてよく似ている。そしてその喜びが、恐怖において感じられないとすれば、言い換えれば、その喜びに戦慄を伴っていないならば、そのキリスト者は、人間としてのイエスを愛しているだけであって、同時に神の子として愛しているのではないということができると思う。」
「しかし恋愛における他の恐怖は、人間が人間を愛するということから生ずる。
全く僕たちは、恋愛において、その愛人がどうしても自分の愛人でなければならなかったという保証をもつことはできない。人類は二十数億人もいる。その中から、どうしても彼や彼女でなければならなかったという必然性は少しもないからである。
ある一人を愛したということは、彼や彼女のこのような可能性の限定として感じられ、その一人を愛することは、その無数の可能性の死として感じられるのである。」
「誰かを愛していると自覚した時、同時に死んだような恐怖に打たれる人がいるが、そのような人は、その可能性の死を感じたのだということができるのではないかと思う。
だから彼らは、自分の愛人がその人でなければならなかったという保証を何かにおいて見い出そうとする。しかしどんな保証も彼らの必然性を保証することはできない。
もし保証されたとしたならば、彼の選択の自由が、しっかりと必然性の大地の上に根を下ろすことができたということができよう。しかし人間には、こんなことは望めないことなのだ。」
現在(2025年)、現代から見れば、何をそんなにネガティヴに考えるのだ、とでも言われそうな内容だけど、そんなことはどうでもいい。
椎名さんは家が貧乏だったため、ろくに学校にも行けず、独学で哲学を学び(しかも文学に目覚めたのは二十八歳のときだった)、ハイデガーの「存在と時間」を写経するようにノートに書き写したりして、生きる意味、生きる根拠を自己に根づけようとした。
共産党員として検挙され、拷問や独房暮らしを経て、何のために生きるのかという精神の土台を失ってしまっていたからだった。
「生きる根拠」を哲学に求めたこと、これがおそらく実存主義そのものであり、椎名さんにしか書けないものを創造させた全ての根幹だったろうと思う。
この「愛について」でも、自分の立場、一作家であり一クリスチャンであり、という事実の自覚からけっして離れず、よくインテリがする机上の空論みたいな展開でなく、椎名さんが椎名さんであるがために書かれたという印象を僕は強くもつ。
ほんとうに、稀有な作家だったと思う。
ただ、やはり僕が直観的に感じてしまうのは、こうして今椎名さんを「写経」しているけれど、現代のひとには響かない、というか、こんな愛についての分析など、時間のかかることはしたくない── そんな空気の意志みたいなものを感じている。
椎名さんの死。そして「あなたを失い、わたし達はどうしたらいいのでしょう」と嘆いた大江健三郎も死んでしまった。