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地にて繋ぐもの
しかしなかなか、やはり軽くなれない。
身体が重い。弱音。理由は解っている。考え過ぎだ。
昨日、椎名麟三についての文を書いていて、言いたいことがいっぱい出てきた。
これだけは言いたい、ということが出てきた。
そしてそこを強調したかった。伝わるように、伝わるように。
なにしろ、強く強く、言いたいことであったからだ。
で、そこへばかり注心した。どうしたら、この感じが、わかり易く、伝わるか、と。
もちろん頭の中でばかり考えていたから、その考えはぐるぐる回り、つんのめり、へりくだり、頭の中は花畑、蝶までが飛んで、そして文脈の流れない、辻褄の合わない、ん、ナニコレ、という、読み返せば酷い文ができあがっていたのだった。
言いたいことに強いこだわりを持ち、そこに執心すると、どんな言葉もそぐわなくなる。この壁、自分で、これだと思った獲物を見つけ、突進したものの、その獲物の詳細を記そうとすればするほど、その獲物を正確につかむことができなかった。
ぼくは、飛んでいたのだ。頭の中で、ひとりで。ぴょんぴょん飛び石を跳ね、そのあいだにある水面の上を。
その川の流れは、頭の中のものでしかなかった。そして文字化したのは着地した石についてだけで、結果、「文脈」が失われ、辻褄のない、何を言ってるのだこいつは、という文だけができあがった。
で、今朝、再び、チャレンジした。飛び石でなく、道にした。昨夜思い浮かんで、これだこれだと必須に思えたものの二、三を、排除した。何となく、すっきりした文になった。言いたいことは、伝わりそうな。
しかし、もとはといえば、その書こうとしていた椎名麟三の項目について、もう書くことはないな、というところから始まったのだ。
ないはずのところから、何やらむくむく、知らないところからそれらが勝手に出てきたのだ。そしてそれが気に入った。で、そいつを追いかけるうちに、わけがわからないことを書いていた、ということ。そしてしっかりその代償を払っているということ。つまり肩こりと片頭痛。
地にて繋ぐもの、地にて繋ぐものは、頭ではなく、この身体なのだよ、と、またしても身体からの訴えを拝聴することになる。身体の重さは、この地に繋ぐ重さなのだよ、と言いたげに。一体、何をしていることやら。