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バジルの話(5)自己表現
クラスメイトたちの書いた「筒見君へ」という文集を、同級生の誰かが持って来る。クラスの様子や、校内の行事のことなどが書かれ、「早く病気がなおるといいね。また一緒に遊ぼう!」と結ばれているのがほとんどぜんぶだったけど、
「筒見君、きみはずるい。なんで学校に来ないんだ。逃げてちゃ、ダメだと思う」
そう書かれているのが一枚だけあった。無性に怒りが込み上げて来たのと、恥ずかしさ、情けなさが食い込んできたのを憶えてる。
S君が花束を持って〈お見舞い〉に来ると、それからほとんど毎日、学校帰りに遊びに来るようになった。
たまに「今日は具合が悪いから」と母に応対してもらって、帰ってもらう日をつくったよ。
でも、そんな〈工作〉にも関わらず、将棋を指していた時突然S君顔上げて、「なんで学校に来ないの?」微笑みながら訊かれたことがある。
ぼくはあわてて「あ、イタタタタ」と痛くもない腹を押さえ、シカメっ面をつくった。
S君はそれ以上何も言わず、視線を盤面におとした。一番仲の良い友達だったよ。まもなく引っ越してしまったけれど…。
それからK君も〈お見舞い〉に来て、週に一回定期的に来てくれるようになった。塾通いに忙しそうで、玄関で立ち話をするだけだったけど、K君が来ると急いでパジャマに着替え、病人のふりして接していた。
日曜や祝日の、〈みんなが休みの日〉は、ずいぶん気持ちが楽になった。両親や祖母とも、家の中で〈すれ違う〉こともできた。
夏休みほどの長い休みになれば、身も心も解放されたよ。K君と父と三人で近所の公園へキャッチボール、同じメンバーに母も加わって、遊園地へ行ったりもしてね。
そして九月の新学期が始まると、ぼくは学校に行っていた。みんなと同じ、〈誰もが休みだった〉後だから、行くことができたんだね。週末どころじゃなかったからね、ぼくの休み期間は!
でも三日四日経つと、また行けなくなった。冬休みの後も、数日行ってまた行けなくなる。春も、その繰り返しだった。
そうしてまたマンガを読み、書き… 週一で来るK君と立ち話する以外、他人と接触せず、… 兄も仕事に忙しそうだった… ほとんど家族と接触せず、ひとりで部屋に閉じ籠って── そんな生活をするうちに、祖母が老衰で亡くなった。
── 自分が殺してしまった、学校に行かないせいで、お祖母ちゃんは死んでしまった。
本気でそう思った。亡くなった時、親戚や、親しい近所の人たちが、ぼくの家に集まっていた。
ぼくは兄の部屋の一角にある、大きな机と椅子だけの小部屋にいて、誰にも入って来られぬよう、襖に辞書や本を内側から積み重ね、バリケードを張っていた。
祖母を死なせたぼくを、親戚や近所の人たちが鬼の形相で叱責に来ることが想像できて… 怖くて怖くて、仕方なかったんだ。
その頃からだ、ぼくが奇妙な行動を取り始めたのは。
ぼくの部屋にはガス・ストーブの元栓があってね、そいつを開けてガスを出すんだ。シューッ、と、一直線に、真っ直ぐな風が出てくるのを、ドキドキしながら見ていた。
そしてだいぶ臭くなってくると、ガラス障子戸を開けるんだ── 下にいる母に気づかれるために。
母が階段を上って来る。「危ないじゃないの」と言いながら元栓を閉める。ぼくはその後ろにじっと立って、黙って下を向いていた。
夜中には、出刃包丁を台所から取って来て、枕元に置いた。布団の中で(これで手首をずばっとやれば…)と夢想しながら、父を待っていた。
部屋の電気を煌々とつけっ放しにしてね。夜中の二時頃になると、父は必ずトイレに来るんだ。階段の下から、ぼくの部屋の灯りに気づいて、父が上って来る。
ぼくは仰向けに寝てるふりをしながら苦しそうな顔をつくる。
父の、ぼくを見下ろしている気配がする。それから何も言わずに父は電気を消し、階段を下りて行く。起きて枕元を見ると、出刃包丁は無くなっていた!
ガスも出刃包丁も、こんなことをしたのは一度だけだったよ。なんでこんなことをしたか── 知ってもらいたかったんだ、自分が死にたがっているということを。
好きこのんで学校に行かないんじゃない、ひどい迷惑をかけていることを本当に分かっている── それでも、行けないんだ、ごめんなさい ── そんな気持ちが、ガスや出刃になって表れたんだ。
〈学校にも行かず、家で好きなことをしている〉客観的に見れば、自分はこうなる。違う、それは違う。何としても、そうじゃない、と知らせたかったんだ。
でも日がな一日部屋に籠っていると、結局何かしたくなる。好きなマンガを読む… 特にマンガを書く時は熱中して書いた。ストーリーを考え、枚数を決め、画用紙に鉛筆で下書きをし、インクにペン先を浸し、細かい点や線を書いている時、ぼくは確かに楽しかったんだ。
そして、何を熱中しているのか。こんなことする前に、やるべきことがあるだろう。それさえしないで、何をやっているんだ ── そんな思いが、たえず追っかけて来た。自殺でも考えなければ、やってられなかった。自分がほんとうにダメな人間になってしまうと思った。
学校にも行かず、部屋で好きなことをする自分を、自殺を考えることで、許すことができていたんだ。それは自分に与える唯一無二の免罪符だったと同時に、自分の思いを訴る、たった一つの手段でもあったんだ。