見出し画像

漱石

漱石にも、自殺… 死についての、夢、憧憬、窮極のところ、自然、必然というべきか、そのような描写が不意に現れる。

「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」

しかし宗教にはどうも這入はいれそうもない。死ぬのも未練に食い止められそうだ。なればまあ気違きちがいだな。然し未来の僕はさて置いて、現在の僕は君正気なんだろうかな。もう既にどうかなっているんじゃないかしら。僕は怖くて堪らない」
「行人」(三十九)より抜粋(新潮文庫)

「夢十夜」では、
「自分はつまらないから死のうとさえ思っている。──(中略)── 自分は益々つまらなくなった。とうとう死ぬことに決心した。

「それである晩、あたりに人の居ない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ。ところが── 自分の足が甲板を離れて、船と縁が切れたその刹那に、急に命が惜しくなった。心の底からよせばよかったと思った。

「けれども、もう遅い。自分は厭でも応でも海の中へ這入らなければならない。只大変高く出来ていた船と見えて、身体は船を離れたけれども、足は容易に水に着かない。

「然し捕まえるものがないから、次第次第に水に近附いて来る。いくら足を縮めても近附いて来る。水の色は黒かった。
そのうち船は例の通り黒い煙を吐いて、通り過ぎてしまった。

「自分は何処へ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら、しかもその悟りを利用することが出来ずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った。」
(「文鳥・夢十夜」(新潮文庫))

 漱石は不意に、ふだん溜めていた死への想いのようなものを吐露する。
「こころ」の先生も自殺した。

「吾輩は猫である」にしても、酔っ払ってかめに落ちた吾輩君が、よじ登ろうと爪を立ててガリガリやる。
つかのま浮き上がるが、すぐ沈む。また浮き、また沈む。沈むためにガリガリやってるのか、浮くためにやってるのか分からない。

吾輩君は疲れ、「もう何もしまい」と決心する。なるようになれだ。そして水の中へ沈んで行く…。

吾輩君が、あきらめた。その場所が、多量の水の入った甕の中だったのだ。

「もう、何もしまい」
そうあきらめた場所が、縁側であったなら。ぽかぽか陽の当たる、気持ちのいい小春日和の、軒先であったなら。

吾輩君は、冷たい甕の中で、あきらめた。