さようなら、通学路。
12年間通い慣れた通学路からようやく蛇行する。
小学校の6年間と、小学校の目の前にある私立女子校に6年間通っていたおかげで、私は通学時に信号待ちすらしたことなかった。だけどこれからは18歳にして初!通学電車デビュー。定期券デビュー。約1時間半、1本の電車にガタゴト揺られながらキャンパスを目指す。正直、かなり、不安。というか、あの通学路を通らなくなる再来月が信じられなくて不思議な感じがする。18年分の12年ってあまりにも長すぎた。そこは駅とは真反対の方向にあるし、なんか地域のふくろだめ?笑みたいな場所にあるから、多分もうわざわざ行かないんだろうな。でも、思い出が詰まった素敵な通学路だ。
まず、家を出ると左隣のおばさんが箒でお掃除している。「いってらっしゃい」に「おはようございます」で返してまっすぐ角まで闊歩していく。うちのじいさんも駐車場でよくわからない作業をしているとき近所の中高生に声をかけるが、てんで無視されるらしい。私はかなり愛想良くいってるほうだ。こういう近所付き合いとか、近所のおばさんが私は結構好きだ。
と、角まできたところで「おっ」と立ち止まるのが常。手首がちょっと軽いなと思ったら腕時計を忘れてる。急に充電したタブレットを入れたか不安になり体を曲げてリュックサックをガサゴソする。
小学生の頃はこの突き当たりのマンションに住んでいた男子が私の持ち物を見て、「あ!絵の具忘れた!」とか言って家に戻ってたっけ。
忘れ物チェック表は中学生になってから忘れ物常習犯に様変わり。これ、ここで気付くのはよしとして、イヤなのはおばさんの前を「おほほ、忘れ物ですのよ〜」ともう一往復しなければならないことでした。でも、4月からは回れ右。
おばさんの前を往復することも、突き当たりの男子(私は色んな意味でかなり気になっていた、この話はまた)を思い出して感傷に耽ることもなくなる。
角を曲がれば立ちはだかるのは坂!!!私の地元は長崎かよってくらい坂が多い。そして坂が多いところに何故かお年寄りは集まる。長崎に修学旅行に行ったとき、自由行動で私の班だけそろりそろりと住宅街に入り、「てんじんくん」なるものを目撃してきた。おばあちゃんおじいちゃんを電話ボックスサイズの椅子付き箱にいれて運ぶのだ。利用者に話をきいたがかなり快適そうだったなあ。てんじんくん、、つけます???
地元以外の友達はかなりびびる坂だが12年間も登れば苦ではない。犬散歩してる人や通勤まん、子供をのっけって自転車漕ぐお父さんたちとすれ違い、坂に足をかける。
坂の根にあるアパートには仲違いしたまま別れた小学校の同級生が住んでいる。私が仲違いしたというよりも一緒にいたグループで5対1みたいになってしまった感じなのだが、まあどちらにせよ気まずい。たまにガチャリと上から音がすると大抵その子だったりする。仲が良かった頃はフェンシング帰りのその子が、鍵が開かないから母がくるまでいさせてくれと23時にピンポンしてきたこともある。鍵っ子でわたすと同じ母子家庭の子だった。私は、なんというか、永世中立国、みたいな顔して最後まで仲取り持ってあげたら良かったかもと。たまに23時の訪問を思い出してそう思う。
懐かしい顔を想いながら坂を登る。秋は金木犀の匂いがブワッとくるここ。金木犀の匂いで私はいつも高校に入って仲違いした中学時代からの元親友の誕生日を思い出していた。信楽焼きを飾ってる家、オートロックのおざきの家、同じグループなのに2人で帰ると気まずくなっちゃっていつも自宅より少し前のところで駆け足になってた空手少女のマンション、「なんだばかやろう」と悪態つきながらマンションのゴミ掃除してる年中タンクトップはちまきのじいちゃん、タバコ吸って歩いてるにいちゃん。
あっという間に頂上についたどー。
ああ、そうそう。この坂、かなり「いい坂」らしくてスケボの溜まり場になるときがある。小学生時代に「父親がいないから」と言って私をいじめてきたかなりヤバいやつもそのスケボ少年で、たまにその辺で見かけるんだよね。「父親がいないから」っていじめてくるのもおかしいし図工の時間に木材投げつけられたこともあった。親の目も行き届いてない感じでかなりヤバいやつ(2度目)だったから私は結構、今でも怖くて。帰りはスケボと坂が摩擦する音が聞こえてくるとドキッとして進行方向変えて帰ることもあるんだけど、この辺は坂ばかりだから結局遭遇する。向こうは気づいてるかどうかわからないけど。なんで、私が。って1番思うときだった。なんでこっちがこんな肩身狭い思いしなきゃいけないんだ。って。雨の日は確実にいないから安心して歩けた。最近は近くの警察署がスケボ禁止の警告出してくれてるから遭遇率は減ったけど、なにか階段の向こう側で音がする度にドキリとしてしまう。良かったことはもう彼のことで気を揉む必要がないことくらいかな。
ここからはですね、謎に下るんですよ。
93階段という通称がついた階段があって、わざわざ登ってきたのにまたくだらなければいけない。
93階段、小学生心に本当かなとクラスで話題になって(これは地元の小学生誰もが通る道)みんなで数えたこともあった。93段ではなかったことは覚えている。笑 でも、93階段。ここをくだればすぐ学校。ちなみに学校の裏には誰が数えても合わない103階段がある。笑
93階段の出発地点がいつも小学生のスクランブル交差点。1年生の親が子供を見送りにくるのはここまで。極めつきに自分達に酔った高校生カップル(彼氏は私の元クラスメイト)が朝日に照らされて黄昏れてるからもうカオス。かなり映える階段なのが難点。ジブリに出てきそうと高校のクラスメイトから言われることもあったっけ。とにかく!ここで渋滞に巻き込まれたら誰か遅延証明書出してほしい。
私は、踊り場に着くたびに振り返っては母に手を振る小学生が転ばないように足元を見守る。時には母が我が子が見えるように道をそっとあけることもあった。私も多分知らないお姉さんにそうしてもらっていたから。ここの踊り場、夏になると非常に面白い光景が見れる。荷物を溜めすぎた小学生がランドセルを枕にして寝てるのだ。夏の風物詩が見れなくなるのはやっぱり寂しい。夏はアサガオを置いて荷物も全部放り投げてみんなで休憩。冬は雪が降ったら大変。どこ通っても坂と階段しかない。みんなで手すりにつかまってなるべくズボンが濡れる回数を減らそうとつかまり立ち練習の赤ちゃんになる。転ぶことは前提です。
くだりながらやっぱり色んな思い出が人が溢れてくる。アルバムみたいだ。階段の横に並ぶ家の犬とおばあちゃん、隣の席の男子と恋バナしながら帰った日、リスの骨もって追いかけ回されたこと、地元中学の友達と待ち合わせして登校していた五月病の頃、露店の如く並んでいる小学生の落とし物、帰りが遅い日自転車に乗って頂上で待っていた母の影。
ようやくおりたてばもうすぐそこに小学校と、その向かいにはうちの中高。唯一のみじかーい横断歩道には緑のおじさんが立っている。ここでも私が他の子供より思い切り挨拶するもんだから、小学生でもないが可愛がってもらっている。自転車でさーっと行っちゃう子にも頑張って目を合わせて「おはよう、寒いから気をつけてね」と声をかけるおじいさん。私が通っていたときにはいなかったなあ。
「がんばってね」そう声をかけてくれる優しさに何度「がんばろう」と思わされたことか。最近は登校日もめっきり減って、小学生の登校時間にも合わないから会わないおじいさん。最後に一回会って、
いつも「いってきます!ありがとうございます!」って走り去る場所で立ち止まって、
「今までありがとう」と言いたい。
この横断歩道でも「お父さんがいない」と揶揄われたことがある。でもおじいさんの優しさとか、ここで別れる中高の同級生の「松子ばいばい」という声とか、受験前に励まし合ったこととか、別れるのが惜しくてつい階段前に連れて行って話し込んだ悩みとか、そんな温かいものたちが心ない言葉を吹き飛ばしてくれる。
うちの小学校はいつのまにかユネスコスクールになったみたいで洒落た看板を学校名の上に付けてる。最近まで、朝付いてるユネスコ看板が帰りは外されてる!という謎現象が続いていた。あんまり私は似合ってるとは思わない。卒業式の日はみんな校門によじ登って腰かけてピース。みんなのぶらぶらな自由な足に学校名もユネスコスクールの肩書も隠れちゃうだろう。
私はよく、あと少しで学校、というところでまた別の嫌がらせにあっていた。ノロマだったからか、それとも別のコミュニティから入ってきた余所者だったからか。私が後ろを歩いてるのをわざとらしく振り返って見てはダッシュで逃げて行く女子が2人いた。幼心に傷付いた。なにか文句があれば言ってくれればいいのに。そんなことを律儀に毎朝やってきた。でも、先程出てきた突き当たりのマンションボーイが逃げられたそのタイミングで私に追いついてきて必ず声をかけてきてくれた。嬉しかった。
私が、学校の通称は変わらずに戸籍上の苗字が変わったとたき。なんだかもとの苗字では呼ばれたくなかったとき。彼だけは、ずっと、やたら、私を名前で呼んでくれた。冬になれば彼のかっこいい書道が中高のグラウンドの周りに飾られていた。
彼のことが、結構好きだった。
まだ新しい環境になれない中学一年のときはやたら向かい側にある小学校の校舎に目を奪われながらふらふら登校していた。
今はもう、どっちも清々しい気持ちで見られる。
スクールバスと到着が被るとエスカレーター前が
混雑するから走ったりわざとゆっくり歩いたりして
行くこともある。
門を通って、ここまで大体7分かな。1番この通学路を気持ちよく歩いたのは、大学合格を報告にいったとき。印刷したての合格通知書を手に、通いなれた通学路がやたらキラキラして見えた。だからきっと、これから12年の思い出が詰まった通学路から蛇行して自分の新しい道を行くけど、きっと大丈夫。また優しい人に出会って、変な渋滞に巻き込まれて、どきりとしたりもするだろうけど新たな風物詩をみつけたりもするんだろう。
卒業まであと2週間の帰り道。この道を通れる幸せを噛み締めていたら寂しくなって、ふと振り返って校舎を見上げた。そしたら、段差につまづいて自転車に轢かれそうになった。
きっと、そういうことなんだろう。大好きだから大切だから胸にしっかりしまって、新しい通学鞄に詰め込んで。もう、振り返っちゃいけない。