享保の改革を万能官僚「大岡越前」が救う

 まず、享保の改革の誤解を解かねばならない。享保の改革で幕府の財政は改善したが、庶民の暮らしが良くなった訳ではない。何故なら、享保の改革の基本は新田の開発と増税だからだ。特に当時の庶民の大部分である農民にとっては年貢の割合がアップして生活は大変に苦しくなった。その証拠に享保年間の農民一揆の発生はそれまでで最高であった。
 そして、徳川吉宗は決定的な間違いを犯した。それは通貨の発行量である。元禄年間の勘定奉行であった荻原重秀は小判の金の含有量を減らして小判を増発することによって増加量分の差益により幕府の財政を支えたが、その後新井白石はそれを不正であるとして元の含有量に戻したが、吉宗も白石の考えを踏襲し金の含有量を元に戻したまま発行を継続した。
 しかし、経済は元禄以降拡大していたので、経済に比較して通貨量が少なくなったのでまさにデフレに陥いり不景気となった。そしてそれが20年間継続した。最後にやっと小判の金含有量を減らし改鋳を行い通貨量を増やしてデフレを脱却し吉宗はやっと面目を施した。
 この改鋳による通貨量増大を提案したのが大岡越前である。大岡に関しては町奉行としての行政と司法の手腕はよく知られているがこのデフレ脱却に関してはあまり知られていない。元禄時代の勘定奉行荻原重秀は「政府が通貨と認めれば通貨は瓦礫でもよい」と発言したことは知られており、強制通用力による通貨流通には明確な理解があったと確認されているが、自身が行った元禄の小判の金含有量を減らした通貨量増加に関しては経済の拡大に対応するために必要とは明確にはいっていない。幕府の財政悪化を救うためということしか伝わっていない。
 大岡の場合は享保のデフレ脱却を目的として通貨量の増大を提案をしており明確に通貨量と景気の関係をわきまえていたと考えられる。
まさに大岡は万能官僚だったのだろう。


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