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既存メディアとSNS
私は読売新聞を購読していますが、今朝の紙面で兵庫県知事選に関し、「真偽不明の情報が拡散した」というタイトルの社説を読みました。その社説によると、SNSの情報は虚実入り混ざっており、広告収入を目当てにしている無責任な投稿も少なくないとあります。また、相手候補を貶めることを目的としたかのような投稿に民意が影響される可能性があり、それは選挙の公平性、公正さが保てないのではないか、といった指摘がなされていました。
この文面だけを読むと、全て尤もだなあと感じます。確かに、SNSでは、誰もが意見を述べることができるし、実名だけでなく匿名でも何でもOKです。個人でも団体でも可能だし、団体といっても大小様々で入り乱れています。その内容や焦点の当て方、情報の質、伝え方(文章だけでなく画像や映像など)など何でもありです。YouTubeを見ているとわかりますが、プロが作ったかのような優れた映像もあれば、いかにも個人が一人でコツコツ作っているのがわかるものもあります。当然、広告収入目当てや閲覧数目当てのものが山ほど含まれています。意見の表明の仕方も様々で、感情的なものとか、過激な非難などが含まれているケースも多々あります。そういった動画や文章が民意に影響を与えることも当然考えられます。
一方で既存のメディアについては如何でしょうか。新聞、雑誌、地上波のテレビ、どれも広告を実施しており、貴重な収入源となっています。広告主は大企業などの力と金のある団体が多いかと思いますが、既存のメディアは広告を増やしたいとは思っていないのでしょうか。広告主に配慮して報道内容を忖度する、といったことはあり得ないのでしょうか。時として特定の誰かの名誉を傷つける、といったことは一切ないのでしょうか。既存のメディアは経験豊富で質が高く優れており、教養に溢れており、取材は常に公正に実施されており、ジャーナリズムの精神に満ち溢れており、最近のSNSとは比較にならない崇高な存在なのでしょうか?
今回の兵庫県知事選挙の結果は極めて興味深いものでした。私は昼のテレビ番組をよく見るのですが、斉藤元彦氏に対してかなり厳しい報道がなされていました。斎藤氏のパワハラ疑惑に対して徹底的に焦点を当てた内容だったと感じます。テレビを見ていて、元幹部への対応の仕方や懲戒処分については大いに疑問を感じました。それは今でも同じです。あのやり方には問題があったと思います。
一方で、斎藤氏を公正に評価するためには、知事としてのそれまでの具体的な業績に関しても取り上げるべきだったのではないでしょうか。更にいうと、斎藤元彦氏が知事として実施した県政の実績と、斎藤氏よりも前の知事が行なってきた県政の実績とを比較する、といった多角的な分析や評価といったものも参考になると思います。そもそも地方行政とはどのようなものか、知事とはいかにあるべきか、より望ましい知事とはどのような人物なのか。そういった点を多面的に、より広い視野で、様々な角度から比較分析することで、また違った景色が見えるのではないか、と考えております。
斎藤氏が再び兵庫県知事に選ばれました。かなり接戦だったと思います。斎藤氏は政党からの支援を失いながらも、様々なツールを使って、自分ができる範囲で懸命に選挙を戦ったのだと推察します。明らかに強い逆風が吹いていました。あの完全アウェーとも思える環境で選挙を勝ち抜いたのです。どうしてそのようなことが実現したのでしょうか。
選挙はこれからも度々実施されます。果たして従来の手法が効果的なのか、人々の心に響く方法とは如何なるものか。大量にチラシを印刷して有権者の住居のポストに入れて回るのが本当に効果的なのか、候補者が車に乗ってスピーカーで名前を連呼して、よろしくお願いします。と叫ぶことに効果があるのか。従来のやり方に捉われず、もっとお金のかからない、より望ましい手法が他にあるかもしれない。もう一度、ゼロから見直して、検討しては如何でしょうか。
今回の選挙結果は選挙活動におけるメディアの活用法に一石を投じました。ひょっとすると、既存のメディアに対する大きな一撃になったのかもしれませんね。