木滑良久さん 逝去

anan、ポパイ、ブルータスなどを創刊、カリスマ編集者・木滑良久さんが逝去された。平凡出版からマガジンハウスになり、社長、会長、最高顧問をつとめた雑誌黄金時代をリードした。同世代の文春の田中健五さんともに、独特の佇まいをもった編集者だった。1997年、日本雑誌協会が主催したアジアで初の世界雑誌大会は50か国から約800人が参加、欧米の雑誌人からビッゲストでベストといわれた。大会会長は田中健五さん、木滑さんは接遇委員長、講談社の野間佐和子副会長の3人で、ユニークで独創的なおもてなしプログラムを実現した。平凡出版・マガジンハウスは伝説の雑誌社。雑誌が一部も売れなくても広告だけで、利益が上がる黄金モデルを構築したが、時代を切り拓く雑誌も売れまくった。木滑さんは雑誌協会広告委員長として、部数公表、雑誌データの開示にも取り組み、日本宣伝賞正力松太郎賞を受賞している。雑誌売上のピークは1997年、当時の雑誌界を代表する人は歴史上に刻まれてしまった。1997年の世界雑誌大会でキーノートスピーチをしたルパードマードックはまだ王国の盟主だ。雑誌協会事務局担当として、田中さん、木滑さんら雑誌の顔と仕事ができたことは光栄だった。


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