ゴシゴシ 有賀さん逝く

株新聞社(日本証券新聞社 略称は日証新聞)時代の先輩、有賀さんが去年のクリスマスになくなっていたことがわかった。ショックだ。寂しい。富山出身、慶應ボーイでロック好きな有賀さんは、いつもひょうひょうとした佇まいをまとっていた。午前中、兜町を巡り、昼には「しょうがないなゴシゴシやるかあ」(当時は手書きだった)、と原稿を書いていた。良く飲みに連れていってもらい、株の世界は迷路だな、と好きなローリングストーンズ、クイーン、KISSはカッコいいだろ、とグイグイ呑んでた姿を思い出す。週明けは、後輩のちょろちょろ(いつも会社にいないであちこちちょろちょろ)と3人で朝からコーヒー飲みながら、ちょろちょろのデューダ(転職)情報話に花を咲かせた。ちょろちょろは出版社から転職してきたが、ほとんど席にいないで、いつのまにか為替専門記者(為替ディーラーで知らない人がいない存在になった)のようになっていた。有賀さんは、「おまえはいいよなあ」と笑っていた。日証新聞はバブルで編集局は50人規模に膨れ上がる。ちょろちょろは、バブル喧騒の以前に奥さんの実家・徳島市に引っ越し、徳島新聞の記者になった。わたしは1990年に出版業界団体に転職。その後も有賀さんとは、ときどき飲んだ。日証新聞は昭和19年5月に創刊、当時の日本証券取引所(現在の東京証券取引所)の機関紙として発足、その後、日経新聞グループになったが、バブル崩壊後、日経が手を引き、オーナーがぐるぐる代わった。「たいへんたいへん目がまわる」と有賀さん。その後、役員になり、講演会担当として全国行脚。徳島で講演会があると、ちょろちょろと飲んでいた。今度、3人で東京で呑もうと話していた。有賀さんは体調を崩して一昨年、日証新聞を辞めたが、その後も体調がすぐれず会えずじまい。年賀状に、「今年こそ、お会いしたい」と記した。今日1月末、奥さまから寒中見舞いが届き、有賀さんがなくなったことを知った。ちょろちょろに連絡、エッ、寂しいとつぶやく。有賀さんは享年69。心よりお悔やみ申し上げます。ありがとうございました。

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