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上司は部下を教育できるのか | 違和感をスルーしないことで風の時代を生ききれる

上司は部下を教育できるのか。
疑問に思います。

上司といってもやる気のある人や頼りない人、高圧的な人や穏やかな人など、いろんなタイプがいます。人間ですからね。

頼りない上司でも人柄がよいと、部下が「頑張ってあげよう」とフォローしたりするので、全体でみると調和が取れたりうまくいくケースもあります。「できる人」であれば良いってものではないですね。

一般的には、上司は優秀ということになっていますが、上司のゴールは組織に跪き、部下にルールを守らせたいだけのことが多いです。

風の時代になってくると、これまでの常識に違和感を持つ人も多いので、古い考え方を引きずっている上司さんには、だんだんと人がつかなくなります。

上司は部下を査定しますが、部下が上司を査定しても良いと思うんです。良い上司かは、部下にしかわかりませんからね。上司が部下を一方向で査定するシステムを見るだけで、いかに勘違いしているかがわかります。

でももっと言うと、他人に査定される必要はないんですよね。他人を査定したい人は、他人から査定されるのも受け入れたら?と思うだけです。

さて、そんな昨今ですが、上司は部下を教育できるのでしょうか。上司さんたちは、「部下を教育しなくては」「あいつは言うことを聞かない」と言っていますが、まずは教育できる器なのかを自分に問うべきですね。

地の時代での常識でもって、風の時代の軽やかな部下をどのように教育できると思っているのか聞いてみたいです。

地の時代の常識とは、
・職場には早く来て、遅く帰ると頑張っていることになる
・仕事中は私語は慎まなくてはいけない
・それなのに、働いていないときでも仕事の話をする
・なんでも「はい、わかりました」と言うべきである
・指示しなくても上司の思う方向性で提案をする
・依頼以上の仕事をすることが望まれる

と言った、仕事に全精力を注ぎ、仕事をすべての優先順位の頂点とし、イエスマンであり、口答えをせず、上司のイメージの範囲でのみ動いてくれる人。

仕事、偉すぎませんか。

地の時代の暗黙のルールでは、私たちの人生の目的や、精神的なベクトルをも仕事に(上司に)操作されていました。それが当たり前でした。そうしたい人もいるので、それはそれで結構です。

でも、いろんな人がいることが理解されていませんね。多様性とか言いながら、まったく個性を認めません。

部下さんも、なんとなく違うと思っている人は、ふんわりと精神を病み、「頑張れない」「楽しくない」と思いながら仕事を続けていたりします。

もっと強烈に違和感を感じる人は、独立したりして抜け出していく場合があります。

この、ルールを押し付けられ、従わないと人格否定されるというのは上司の自覚なくおこなわれていることなので、違和感を感じた人は、自分の気持ちをスルーしないほうが良いです。そして、「洗脳されそうだったけど、気づけて良かった〜」と自分を褒めてください。

「頑張れない」「楽しくない」は、自分の魂から来る真っ当な感覚です。風の時代の上司は、そのような心の移り変わりも理解している人が好ましいです。人は成長するものなので、変化するからです。

頑張っているか、頑張れないのかの上辺だけでは、何の判断もできません。そして、職務上の都合が良いかだけで部下の優劣を判断するのではなく、それぞれの人生そのもの、魂の成長を応援するのが素敵な在り方です。

現状の社会システムは、違和感を持つ人が頑張りすぎることで長引きます。

会社で評価されたい人もいますが、評価する人が素晴らしい人間ではないことがほとんどですよね。自分が自分を認められるほうが、自分軸につながることができるので疲弊しません。

他人の評価はしょせん他人軸です。上司が変わったら、評価も変わってしまうほどのものです。

私たち一人ひとりが、社会の評価システムから外れることで、おかしな世の中(地の時代を引きずった考え方)を変えることになります。

上司に言われても違うと思うことは「私は違うと思う」と言ったほうが良いです。自分に嘘をつかないことが大切です。理解されないと思ったら、黙っていれば良いのです。「上司さんはそう思うのね」と。上司がそう思うこと自体は、その人の自由なのでべつに良いのです。私はそうじゃないというだけですからね。

上司が、会社が、社会が正しいと思っていませんか。本当は、私がどう感じるかがすべてです。みんなそれぞれの人生を歩んでいるのですから。

会社での教育は洗脳に近いです。ふわっとすり抜けてゆきましょう。


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