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地元の朝市と誰も知らない劇場

これは僕が現実の面白さにのめりこんだ時の物語だ。

僕は2022年現在、ある地方都市で新卒の会社員をしている。
これから書く内容は固有名詞を明言しなかったり、枝葉末節を改変したりしているが仕事の都合上個人の特定に繋がると困る部分があるのでどうか許してほしい。

2021年のある夏の日、上司から明日の朝は朝市で仕事があるから6時に会場へ集合するようにと告げられた。
僕は本心を悟られないよう、慎重に笑顔を作りながらハイと威勢のいい声で答えた―。

新人会社員でなんのスキルもまだない僕は、こんな風にやる気のある姿を周囲に見せることでサバイバルしている。

今の会社に入社する以前から僕はお芝居がとても好きだった。高校の頃に学校で初めて見たお芝居に魅了されて以来、俳優に憧れ大学でもずっと演技に明け暮れていた。

けれど就職の時期がやってきて、才能のなかった僕は人並みに葛藤することになる。
凡庸な悩みなのだけれど、現代社会で消耗する人生に耐えられる気がしなかった。
色々悩んだ末、結婚を考えている人がいたことから安定した会社員の道に進んだ。

正直言って、現実はなんとクソなのだろうと世界を呪ってばかりいた。
元々自分がお芝居にのめりこんでいたのもフィクションの世界が現実から隔絶されていたからだった。フィクションの世界にずっと生きることができれば幸せだと思っていたけど、それは就職という線引きと共にあっさり崩れ去る幻想だった。

会社員として、お芝居で培った演技力を利用してやる気のある姿を必死でアピールする日々は中々にしんどく、本当の自分に戻りたいと念じてばかりいた。

翌朝5時半、僕は眠い目を擦りながら朝市へ向かっていた。

早朝の道路には数台の車がぽつぽつと走っている。ウォーキングをしている人と時々すれ違った。静けさの溢れかえる道を会場まで自転車で30分。

ふと、自分の周囲の車がなんだか増えていることに気が付いた。
時計を見ると5時45分。自分が知らなかっただけで世の中には早朝出勤している人がこんなにいたのか。そんなことを考えていると会場が見えてきた。

そこで僕は気が付いた。周囲の車が増えていたのは早朝から出勤する社畜が多かったためではない。朝市にやって来る人々の車だったのだ。
慌てて周囲を見回すと焼きそばやフランクフルト、ソーダなど煌びやかな商品を扱う屋台が立ち並び、多くの若者が歩き回っている。

正直面食らった。僕が住んでいるのは地方都市だったから、朝市というのは地元のおじいちゃんやおばあちゃんが野菜を売っているようなものだろうと高を括っていた。

それがどうだ。今目の前に広がっているのはまるで夏祭りに出てくるような光景じゃないか。

コロナ禍において僕たちの街も全国的な例に漏れず夏祭りを中止しており、屋台なんかは久しく見ていなかった。

そうか、街が生きているってこういうことなんだな。

後から知ったのだが、この朝市は30年以上の歴史を持つらしい。30年地元に根差しながら続いた朝市が現代の若者の支持を受けているのは僕にとって衝撃だった。完全に偏見だった。

あっけにとられながら上司と合流し仕事にかかっていると、スーツを着た一団が現れた。
選挙が近かったので、地元の政治家がぞろぞろと集まっていたのだ。(後から知ったところによると普段はあまり現れないらしい。)

人によってはうんざりするところだと思う。地元の人々が生き生きと運営している朝市をアピールの場にしないで欲しい、そんな声さえ聞こえてきそうだ。

しかし奇妙なことに僕は興奮を覚えていた。会場が視界に入ったときから薄々感じていたのだが、朝市を眺めるときに現れる感情は僕がお芝居を見ているときのものに似ていた。

目の前で権謀術数が張り巡らされている。どうしようもなく街の息吹を感じた朝市で、街の明日を決めようという人物たちがニコニコした笑顔の下にそれぞれの思惑を忍ばせている。

これがお芝居でなくて何だというのか。これはどう見ても「劇場」そのものだ。

朝市に現れた劇場によって現実と僕のこれまでの人生が交差したとき、僕の脳裏に芸術という言葉が浮かんだ。今まで命を注いできたお芝居とフィクションは僕が嫌った現実に奉仕するためにこそあったんだということに気づかされた。

あの朝市にはフィクション顔負けの豊かな感情のやり取りがあり、それによって街全体のストーリーが進行していく。更に一人一人の登場人物に映画の設定資料集もびっくりのバックボーンとサイドストーリーが存在している。

何を当たり前のことをわざわざ書いているのかと言われても仕方がないが、未熟な僕はこのとき初めてフィクションと現実は表裏一体ということが分かったのだ。そしてその両者が交差している部分を芸術と呼ぶのだということも。

今、この国で芸術という言葉は一般市民からは縁遠いものとして位置づけられている。芸術家という生き物が考えていることは一般市民からは容易に理解できないことだというステレオタイプがあり、普通に生きている分には(芸術祭などに足を運ばない限り)芸術に触れ合うことは永遠にないものとされる。

この国で芸術に従事しようと思った場合、選択肢は大きく分けて二つ。一つ目は一般市民からは隔絶されたものとして制作し、多くの人には見てもらえないかもしれないが狭く深く公開する方法。しかしこれは殆どの場合公的資金抜きには成り立たない。ブルーリボン賞を獲得した映画監督の西川美和監督がアルバイトをしながら食いつないでいるとインタビューで述べたことは記憶に新しい。

もう一つは、エンターテイメントに偽装、ないしは混ぜ込む方法だ。例えば、声優がキャラクターを演じながらラップをするコンテンツであるヒプノシスマイクはエンターテイメントとしてお客さんを喜ばせながら日本語ラップという芸術を広めているとも言える。(そうしているうちにエンターテイメント自体が目的化して感情ポルノが溢れかえるという問題はあるがここでは追求しない。)

僕を含めた多くの若い表現者の卵はこの二者択一を選べずに表現から離れざるを得ない。
前者は経済的に難しいものがあるし、後者は志す人が多いわりに座れる席が少なすぎる。

しかし偶然にも俳優の卵だった僕は第三の道を朝市に見出した。

月並みな表現だが、人は皆常に何かを演じている。朝市のジュース屋のおっちゃんはそういう役だし、歩いているカップルはカップル役だ。政治家は政治家役。皆フィクション。皆、現実に書き換えられてその役になっているし役の行動は現実を書き換える。

芸術とは現実とフィクション、世界と私の間で書き換え合いを行うことであり、そのために表現という方法があるに過ぎない。

僕は現実の圧力で本来の自分を奪われていると感じていたけれど、むしろ役を貰っていた。現実から一方的に書き換えられるだけじゃなく、僕が役を全うすることで書き換え返すことが必要だった。

僕は今でも立派な俳優だったどころか、あのころよりも遠い場所に立っている。


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