見出し画像

【恋愛の何が面白いの?#4〜人肌が恋しい、恋に恋する〜】プロファイリング5

はじめに

 この記事は、孤独民族(恋愛経験が少ない人)である私が、恋愛民族(恋愛が好きな人)は恋愛のどのような部分に面白さを感じているのかについて語る。妄想純度は90%ぐらいなので、ほぼ妄想なのだが、それでも良ければ見ていってほしい。ちなみに、前回は駆け引き募る思いの成就関係のインフレについて語っている。

話の切り口

 私の少ない体験と恋愛系のコンテンツを見た経験から、恋愛の面白さを5つに分類した。今回は残りの人肌が恋しい自分の感情のメタ認知について語っている。

人肌が恋しい

 この言葉は恋人と別れた人やひとりの時間が長い人がよく口にしているイメージがある。"恋しい"ということは、人肌というものには強く惹きつける何かがあるのだろう。
 ここで理屈をコネコネしてその何かについて語っても良いのだが、どの理屈もきっと不十分である。なぜなら、それは感覚的なものだからだ。愛とか友情などと同じだ。説明しろと言われ、抽象的に説明すると、結局その説明自体もあいまいでわからない。また、具体的に説明すると、今度は反例がいくつも出てきて、腑に落ちることはない。
 私たちは、人肌のぬくもりを感覚で、感情で理解するのだ。だから、どれほど言葉を尽くそうと100%感覚と合致することはない。もはや、感覚的なものを言葉や理屈で測ろうとすることがおこがましい気すらする。恋愛というのは、そんな理性や理屈を超えた体験ができるという意味で面白いのかもしれない。

 といっても、理屈人間はそんな言い訳なんか聞きたくないだろう。なので一応、現時点で私が納得している理屈を語ろうと思う。(記事の主旨と少しずれるのでこの記事の最後に)

自分の感情のメタ認知

 自分の感情のメタ認知とは、恋愛でいうと恋に恋するということだ。少し極端な例で示そう。

 私には好きな人がいる。しかし、その人にはすでに付き合っている人がいる。それを知っていながら私は、その人を思い続けている。略奪する気はないが、諦めるつもりもない。ただ、接する機会があれば積極的に攻め、彼らが仲良くしていたら、それを遠くから眺めるのだ。私は思う、
『叶わない恋ってなんて虚しくて、なんて心地いいんだろう。』

 この例でいう"私"は恋愛を楽しんでいるのではなく、恋愛をする自分の気持ちの起伏を楽しんでいる。ジェットコースターを想像してもらえばわかる通り、気持ちの緩急や上がり下がりはそれだけで楽しい。もはや、好きな相手は"恋愛"を楽しむための道具にすぎないのだ。それは悪いことではない。バランスの問題である。恋する気持ちに酔えないととてもじゃないが恋愛なんかやってられない。

最後に

 長々と語ってきた恋愛話も今回でいったん区切りとなる。私は恋愛をしようと思わない。しかしそれでも、たびたび恋愛のことを考えてしまう。切ろうとしても切れない思いだからこそ、いつかその時が来たらちゃんとこの面白さに向き合おうと思う。

おまけ

『人生は辛く、苦しいものである。』これは誰もが知っている事実である。しかし、辛いことが当然と思ってはいけない。『辛いことは事実であるが、それを軽く受け止めてはいけない。』ということだ。もしも今、あなたが生きているのなら、それをもっと誇りに思うべきなのだ。世の中は死んだ方がマシと思うぐらい辛すぎる。
 では、なぜ私たちはそんな世界でいまだに生き続けることができているのだろうか。それは、辛い現実と向き合いながら、全身全霊でその辛さを誤魔化そうと足掻いてきたからだ。宗教、夢、科学、金、食べ物、娯楽、家族、友人など、ありとあらゆるものを使って私たちは誤魔化してきた。それは、一度や二度の話ではない。何千何万と繰り返し、毎日毎日辛さを誤魔化している。良く言えばそれは、生きるための糧や救いや希望である。悪く言えばそれは、依存性のある快楽でしかない。しかし、そうでもしないと私たちは生きていくことができないのだ。人生とはそれほどに辛いものである。
 話を本題に戻すと、人肌というのは人が辛い人生を誤魔化すための手段のひとつである。そこにあるものは生きる糧であるが、一方でそれはただの依存性のある快楽という側面も持つ。人はその誤魔化しなしでは生きることはできない。だから、人肌が恋しいと思うのである。

いいなと思ったら応援しよう!