(連載小説:第17話)小さな世界の片隅で。
歩は、泣きながら食べている、ハンバーガーをみて思った。
やっぱり今日は、車じゃなくて、歩いてくるべきだったと。
食べ物も、ハンバーガーじゃなくて、おにぎりとお茶じゃなきゃなと、歩はそう思うのだった。
少し落ち着いたあと、歩は、そのベンチから静かに歩み去っていった。
青空に向かって、”大丈夫だよ。”とつぶやいた。
(X-4日)
歩は、顔を隠す様に頬を伝う涙を袖で拭いて、ベンチを後にした。公園から出る時に、もう一度振り返って、ベンチに目をやった。誰もいないベンチは穏やかな日差しを受け、ただそこに静かに佇んでいた。
歩は、ベンチにむかって小さく頷いた。
駐車場へ向かい、車のダッシュボードを開け、線香の箱とライターを戻す。
エンジンをかけ、ハンドルに手をかける。
歩の手には、墓参りの名残が残り、ハンドル上の手を動かしたとき、指先から線香の青く少し焦げたような匂いがほのかに香った。
幹線道路を走り、買い物や、用事を済ませて、15時過ぎに自宅に着いた。
ガラガラと自宅の玄関を開ける。
”おかえり。”
部屋の奥の方から、母親の声が聞こえた。
”うん。”
”行ってきたよ。ばあちゃんの墓。”
”あと、ちょっと時間早めだったけど、マックでお昼買って、この前言ってた、隣の公園で食べてきた。”
”そう…。よかったでしょ?あそこ。静かでね。”
”うん…。”
ふと、公園での情景が浮かんだ。
歩は、視線を外し、それ以上は、何も言わなかった。
言えなかった。
何か言葉を返した瞬間に、あの時の涙が、感情が溢れ出しそうだった。言葉を返すのを抑える事で、無意識にそれを抑えていた。
出来るだけ平静を装い、気持ちを落ち着ける為、2階の自室へ向かった。
少し気持ちを落ち着けながら、歩は考えた。こういう時は、日常に身を任せた方がいい。
”1週間前も、この時間は散歩(ウォーキング)してたんだっけ?”
気持ちを落ち着けるため、あえて1週間前と同じ、ウォーキングに出かける事にした。服をウォーキング用のウエアに着替え、支度を始めた。
ウエアに着替えるのは、重要だ。周囲の人が見かけでウォーキングしていると分かるから。
若者ならまだしも、中年の男が平日の夕方に私服で、同じ場所をフラフラと出歩いていては、不審者に間違われかねない。(特に歩においては…)
16時過ぎ、ランニングシューズを履き、いつもの時間に家を出た。
歩を進めながら、住宅街を抜け、河川敷の土手に入る。風が強くなり、住宅街の雑多な音、匂いから、さらさらと川の流れる音が耳に入り、河川の近く特有の苔むした匂いに変わった。
そのまま、土手を歩いていくと、いつも場所で、毎回すれ違う主婦(文子:第1話参照)が歩の前方から歩いてきた。
歩は、いつもの様に、軽く会釈をする。
主婦も合わせて軽く会釈をした。
歩は、いつもの様に、そのまま通り過ぎようとしたが、
すれ違いざまに、主婦に声をかけられた。
”すみません…、あの…。”
”はい…。”
歩は少し驚いて返事をした。
”あの…、その…、間違えじゃなければ、このハンカチを拾ってくれた人ですよね?”
”あの…、覚えてます?”
そういうと、主婦は、薄汚れたハンカチをポケットから取り出し、歩の前に差し出した。
”…。”
歩は、少し考えた。
”…あ!大分、前ですよね?”
歩は、以前(大分前に)ウォーキンング中に主婦とすれ違った時、落としたハンカチを拾い、声をかけた事を思い出した。
主婦は、その時、
”ありがとうございます…。”と言い、
その薄汚れたハンカチを両手で大事そうに受け取り、ポケットにしまっていたのだった。
”はい、覚えてますよ。”
”そのハンカチ、大事にされているんですね。”
歩は、言葉を返す。
”はい…。大事なハンカチなんですよ。ちょっと、汚れちゃっているんですけれどね…。”
主婦が続ける。
”その…。”
”はい…。”
”一つお願いがあるんですけど、聞いてもらえますか?”
”えぇ、僕に出来る範囲であれば…。”
主婦が思い切ったように言った。
”あの…、何も聞かずに、「大丈夫」って言ってもらっていいですか…?”
”このハンカチを拾ってもらった日から、河原で、あなたを見かけるたび、あなたにそう言ってもらいたいと…、ずっと思っていて…、”
”いつも声をかけようと思っていたんですけど、出来なくて…。今日、やっと声をかけられました。”
”はい…。”
歩は、訳もわからず、ただ話を聞いていた。
そして、
”あの…。そんな事でいいんですか…?”
歩は、主婦に確認するように言った。
少し間をおいて、主婦が返す。
”はい…。お願いできますか…?”
”分かりました…。”
歩は、主婦の方を見て、言った。
”「大丈夫」。きっと…、大丈夫ですよ。”
主婦は、少し間をおいてから、
”ありがとうございます…。本当にありがとう…。”
少し擦れた声で言い、軽く頭を下げて、歩と反対方向へ歩いて行った。
主婦が頭を上げた時、顔に手をやり、直ぐに振り返って行ってしまったので、表情を伺う事は出来なかったが、歩には、なんとなく分かったのだった。
”何か役に立てたのかな…。”
主婦が去った、風が吹き抜ける河原の道で、歩は、一人そう思っていた。
(次号へ続く)
※本日もお疲れ様でした。
社会の片隅から、徒歩より。
第16話。
第1話はこちらから。
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